酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
オールスター最強の記録男は誰だ。
イチロー、清原、そして江川卓も!?
posted2017/07/14 07:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Hideki Sugiyama
「ベーブ・ルースさんとカール・ハッベルさんの対決が見たい」
MLBでオールスター・ゲームが始まるきっかけとなったいう少年の手紙は、どうやら眉唾のようだが、昭和の時代、オールスターは「特別な試合」だった。
いつもは瓶ビール1本のうちの親父が、なぜかオールスター戦は冷やしたスタイニー(知らないか!)をテレビの前に何本も並べて観戦していたのを思い出す。
今現在のセ・リーグ、パ・リーグはNPB傘下の2つのリーグである。リーグ会長も事務局もなくなったし、審判にもリーグの区別はなくなった。しかし、昔の両リーグの対抗意識はすごかった。なにしろ「喧嘩別れ」同然にスタートしたからだ。
1950年、新規参入球団を含めてセが8球団、パが7球団で2リーグ制が始まった。しかし、大阪タイガースの別当薫ら主力選手が、毎日オリオンズに大量に引き抜かれるなど大もめにもめた。その年は、あまりの険悪さにオールスター・ゲームが開かれなかったくらいだ。
2年目以降はオールスター・ゲームが開かれるようになったが、両リーグの交流は限定的で、ライバル心が強かった。パが2シーズン制やDH制を導入した時もセは同調しなかった。
金田vs.張本、鈴木啓示vs.ONは実現していない。
また昭和の同時代に活躍した選手でも、リーグが違えば真剣勝負をする機会はほとんどなかった。NPB最多の400勝を記録した国鉄・巨人の金田正一は、東映の張本勲や毎日の榎本喜八とはレギュラーシーズンはおろか、日本シリーズでも対戦したことがなかった。パの300勝投手、近鉄の鈴木啓示も巨人の王貞治や、長嶋茂雄相手にマウンドに立っていない。
つまり唯一、オールスター・ゲームだけが真剣勝負で相まみえる機会だったのだ。
昭和の球宴は、文字通りの「大舞台」だったのだ。