野球場に散らばった余談としてBACK NUMBER
福原忍、18年間のプロ生活に終止符。
引退登板で恩師を落涙させた「足跡」。
posted2016/10/08 11:30
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
NIKKAN SPORTS
学生野球はナインが一堂に会する機会が少ない。キャンパスが異なるため、全員が顔をそろえる機会はめったにない。だから、大切なことは日曜日に伝えることにしている。先日もそうだった。埼玉・川越のグラウンドで、東洋大を率いる高橋昭雄監督は130人ほどの部員を前にして、30分ほど、とうとうと話した。
「福原も大学の時は、そこまで勝てていなかった。でも、チャンスはどこにでもあるんだよ。あきらめることなく、最後までやりきること。いつか、どこかで誰かが見ている。人生のチャンス。頑張れば、夢は広がっていくんだから」
ほんの1日前は甲子園球場にいた。東都リーグ歴代1位の通算500勝以上を積み上げてきた名将も、思わず胸を詰まらせる。目の前で手塩にかけた教え子がマウンドに立っていた。
阪神の福原忍が現役ラスト登板に臨み、巨人・立岡宗一郎と真っ向勝負する。143kmが外れ、141kmは外角いっぱいにストライク。3球目だ。142kmで左飛に詰まらせた。監督冥利に尽きる、ひとときだろう。指導者になってから45年がたつというのに、涙があふれた。
恩師が感じ取ったプロ生活18年間での成長。
代名詞のストレートにこだわった引き際だったが、実は、高橋はかつての教え子が歩んだ「足跡」を別のシーンに感じ取っていた。本番直前、マウンドでの投球練習に目を凝らす。速球に変化球を交ぜるデモンストレーション。絶妙に球を曲げ、ストライクゾーンにすとんと収めていた。「ブレーキが効いた、いいスライダーを投げていたんだ。学生時代は、あんなスライダー、投げていなかった。速球だけでは、18年間もプロでやれない。研究して自分で身につけたものなんだろうね」と感心していた。
分厚い胸板、地に根を張るようなどっしりした下半身……。視線の先にいた福原は、出会った頃のような細身のシルエットが消え、見違えるようにたくましくなっていた。幼木は、風雨に耐えて年輪を重ね、いつしか太く大きな幹となり、無数の葉をつける大木になっていく。22年前の夏、広島の広陵から練習会にやってきた若者は半袖シャツから右肘が見えていた。これが目に入り、弱々しさしか映らなかったと振り返る。
「高校の時に肘を手術して、良くなかった。あの傷を見たら、とてもプロ野球に入れると思わなかった。練習もあまりさせちゃいけないなと心配したし、大事に大事に、扱わないといけないなと思ったよ」