野球場に散らばった余談としてBACK NUMBER
福原忍、18年間のプロ生活に終止符。
引退登板で恩師を落涙させた「足跡」。
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/10/08 11:30
長年にわたって声援を受けて上がった甲子園のマウンド。熱烈な阪神ファンが見守る中で福原はすべての人への感謝を告げた。
「何といっても、投手は真っすぐの力」
だが、第一印象は裏切られる。細身から放たれる直球は、まさに剛速球。荒削りだったが、素材の高さに高橋自身が惚れ込んだ。指導者として信念がある。器を小さくしてしまわないこと。大きく育てること。短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心掛けていた。
「学生の時は細かいことは置いておくんだ。あの真っすぐがあったからね。だから、ほとんど、細かいことは言わなかった。何といっても、投手は真っすぐの力。野手は強いスイングで真っすぐを打ち返せるか」
速球にこだわる福原の向こう気の強さにも感じ入った。高橋には印象深い試合がある。神宮第2球場での中大戦だ。高橋は目を細め「自分がどれだけ力があるか、試したかったんだろうな」と振り返る。勝負を挑んだ相手は、いまも巨人の主軸を張る阿部慎之助だ。渾身のストレートは、しかし、あっけなくフェンスの向こうに放り込まれた。悔しさを味わいながら、速球に生きる道を追い求める姿勢を理解し、後押しした。
わずか3球の投球練習でスカウトを魅了した。
あの日が雨でなかったなら、あるいはプロへの道は開けなかったのかもしれない。'98年9月、阪神のスカウトがグラウンドに立ち寄った。折悪しく、雨が降りしきる。高橋は室内練習場で福原にブルペン投球させた。1球、2球……。わずか3球を投げただけで、運命は決まった。熱に浮かされたように、当時の横溝桂編成部長が話していたという。
「うちの球団を挙げて、福原を幸せにしたい」
人づてに聞いた話だが、いまも鮮やかに脳裏に焼きつく記憶だ。高橋の述懐に戻ろう。
「とても素晴らしいことを言ってくれたと思った。あの時、室内練習場は湿気があって福原が投げると、とても、いい音が鳴っていたんだ。たった3球だよ。それで、阪神は決めたと言うんだから。もし、屋外で投げていたら、果たしてプロに行っていたのかな」
視界が開けると、おのずと細かい技術も身についた。
阪神スカウトの高評価を知りつつ、指摘する欠点も高橋の耳に入ってきた。当時の福原は投球直前に構えるとき、グラブから出た指が伸びたり、曲がったりする。「変化球だと指が伸びたまま。ストレートだと、さあ投げるぞと曲がる。プロは、さすがだな。あわててグラブにカバーをつけたよ」と、高橋は笑いながら振り返る。主戦投手としてチームを支えた。11月、当時は東都の2部に降格していたが入れ替え戦で立正大を下して1部復帰。原動力になったのが先発福原だ。