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偉大なる水の女王・成田真由美。
46歳にして日本新、パラ出場の活躍。
posted2016/09/20 17:30
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AFLO SPORT
つりこまれるような笑顔だった。
「この舞台に戻ってこれたというのが、すごい幸せです」
9月16日。50m背泳ぎ決勝、そして4×100mメドレーリレー決勝を終えた成田真由美は言った。
この日までで計5種目。内容が、圧巻だった。
最初の種目、11日の100m平泳ぎこそ予選落ちに終わったものの、翌日の50m自由形では予選で39秒68を出し自身の持つ日本記録39秒70を更新。決勝では39秒23とさらに記録を更新して5位、入賞を果たす。
15日の4×100mリレーでは日本新記録で6位。
そして50m背泳ぎでは、予選で46秒74と自身のベスト48秒89を大きく縮めて3位で決勝に進む。決勝では47秒63とタイムを落としたが5位で再び入賞。
「予選、すごくよかった。ほんとうに驚くような記録で何度も何度も掲示板を見直して、でも困ったなというくらい自分でも驚いて。決勝は(他の選手が)飛ばして来るなと思っていたのですが、負けました」
そのすぐあとのメドレーリレーでも、日本新記録を出しての7位の1人となった。
20個のメダルのうち15個が金メダル。
昨年7年ぶりに第一線に復帰し、46歳にして、堂々たる記録を連発したのである。
数々の好タイムの中でも、50m自由形での記録はクラスは異なるが、2004年のアテネで金メダルを獲得したときの39秒22に0.01秒と迫るタイムでもあった。
「今までやってきたという自信がありました」
と笑顔を見せる。
まずはその足跡をあらためて振り返りたい。
1996年のアトランタパラリンピックを皮切りに、2008年の北京まで4大会連続出場。計20個のメダルを獲得した。うち、金メダルは実に15を数える。
まさに、第一人者として牽引してきた成田だが、中学生の時に脊髄炎で下半身不随になった。その後は入院生活も含め、長く苦しい闘病の時間が続いた。
転機は23歳のときに訪れた。知人に誘われ、水泳の大会に出てみたのだ。