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偉大なる水の女王・成田真由美。
46歳にして日本新、パラ出場の活躍。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAFLO SPORT

posted2016/09/20 17:30

偉大なる水の女王・成田真由美。46歳にして日本新、パラ出場の活躍。<Number Web> photograph by AFLO SPORT

競泳の女子100mフリースタイル(S5)決勝での成田。成績は7位だったが、日本新記録を更新。

水泳の魅力を感じた直後、交通事故でさらなる後遺症が。

 わずかな準備期間しかなかったが、大会では自由形で好記録をマークし優勝する。何よりも、水の中では体が軽く感じられるのが魅力だった。

 しかしその大会の帰路、交通事故にあって左手に麻痺が残ることになった。

 それでも一度知った魅力は忘れがたかった。横浜市内のスイミングスクールで本格的に練習に取り組むと、アトランタ大会へ出場を果たした。

 交通事故の際、実は体温調節機能も失っていた。当然、水泳では大きなダメージだ。

 それでも短い練習時間の中でいかに効率良く強化を図るかを試行錯誤し続け、その結果、アトランタ・パラリンピックでは金2つを含む5個のメダルを獲得するまでに至った。

 その後も病と事故に見舞われ、絶望的にも思える辛い出来事は相次ぐこととなった。

 2000年のシドニー大会で、5種目で世界新記録をマークし6つの金メダルを手にした成田は、2002年に大病を患い、約4カ月の入院生活を強いられる。しかも入院中に、ベッドから落ちて右足を骨折。

 それを乗り越えて出場したアテネでは、自己最多の7個の金メダルを獲得したのである。

 だが、北京ではメダルなしに終わった。

 それまでよりも障がいが軽いクラスに振り分けられたのが理由だった。なぜなのかははっきりしなかった。ただ、そう判断された。

2020年の東京五輪が決まり、復帰を決意した成田。

 その後第一線からはいったん退き、障がい者のスポーツの普及活動などに取り組んでいた成田が復帰を決断した理由は、2020年の東京開催決定にあった。

 2014年に組織委員会理事に就任し、その活動の中で行き着いたのが「泳ぐことで盛り上げたい」という思いだった。

 復帰戦は2015年9月、ジャパンパラ水泳大会。100m平泳ぎの予選で自己ベストをマークし、健在をアピールした。

 迎えた今年3月のリオ代表選考会。50m自由形で40秒90と、リオへの派遣標準記録を女子で唯一突破し、代表入りを果たす。

 迎えた8年ぶりの、5度目の大舞台での活躍である。そして、日本新記録である。

【次ページ】 「挑戦に終わりはありません」

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