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「パーフェクトではない。でも幸せ」
ボルトは200mも王者であり続けた。 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byJMPA

posted2016/08/19 16:30

「パーフェクトではない。でも幸せ」ボルトは200mも王者であり続けた。<Number Web> photograph by JMPA

オリンピック史上初、陸上における個人2種目での3連覇を達成したボルト。

長身で恵まれていると言われるが、障害もあった。

 北京五輪から今年で9年だ。3度のオリンピックを含み、常に王者でいることは、いかにボルトが196cmと体格に恵まれていようと、容易なことではない。

 いや、実は恵まれてはいない。

 ボルトが脊柱側湾症であることは、今日では広く知られている。

 それが走りにどう影響するかと言えば、左右のバランスが悪いため、足腰に過大な負担を強いることになる。

 北京五輪以降ばかりが語られがちだが、実はボルトは2004年のアテネ五輪にも出場している。このとき、200mで予選敗退を喫している。今日からすれば信じがたいが、脊柱側湾症の影響が大きかったという。

 だがボルトはそのままでは終わらなかったのだ。

 どうすれば、足に負担をかけることなく走ることができるかを模索した。

 そして約3年をかけて、専門のドクターのもとでトレーニングを積み筋肉の使い方を身につけ、一流の選手となったのである。

「もう、やれることはやり尽した」

「アリやペレのように、偉大な存在になりたいと思ってきた。大会が終わったとき、そうなれればいいと思っている」

 レース後の言葉だ。

 ボルトは、リオが最後のオリンピックだと語ってきた。レース後も、あらためて言った。

「もう、やれることはやり尽した。今回が最後のオリンピックだ」

 レーンにキスをした場面の意図を問われると、重ねてこう答えた。

「さよならを告げていた。これが最後のオリンピックだから」

 歓声は、ボルトの足跡への祝福と賛辞のようでもあった。

 現地時間19日、4×100mリレー決勝が、オリンピックで見せるボルトの最後の姿となる。

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