リーガ・エスパニョーラ最前線BACK NUMBER
清武移籍セビージャで嵐の体制変更。
コパ優勝監督の就任で更に攻撃的に。
posted2016/07/20 11:30
text by
横井伸幸Nobuyuki Yokoi
photograph by
AFLO
5月半ばから6月末にかけてのセビージャはジェットコースターに乗っているかのようだった。
まず5月18日、スイスのバーゼルでリバプールを1-3で下してEL3連覇。
次はその3連覇の立役者であるウナイ・エメリ退団の噂。
もっとも、功績ある監督がビッグクラブに引き抜かれるのはこの世界の常である。セビージャの関係者もファンも、このときはそれほど消沈しなかったに違いない。が、続いて生じた落胆は大きかったはず。
2000年代のセビージャ興隆のカギを握るスポーツディレクターのモンチが、退団の意志を表明したのだ。
16年前、当職に就いたモンチはセビージャというクラブに適切な監督を選ぶ目や、安価でありながら監督の要望を満たすタレントを見つける手腕をもって、リーガのパワーバランスを大きく変えた。なにしろモンチの下でクラブが得たタイトルは、国王杯2つにEL5つにスペインとUEFAのスーパーカップそれぞれ1つずつ。21世紀の獲得数だけでいうなら、セビージャはいまやバルサ、マドリーに次ぐリーガ第3のクラブである。
選手売買でモンチが叩き出した利益は320億円以上。
一方でモンチは、金銭的にもセビージャを救った。彼がスポーツディレクターに就任した当時、セビージャの経済状態は2部を合わせたリーガの全クラブ中最悪レベルにあった。ところがモンチが慧眼をもって連れてきた選手が驚異的な確率で活躍し、次から次へと市場価値を上げたため、クラブの懐も潤っていったのだ。
たとえばブラジルのバイーアから約6400万円で獲得したアウベスは約49億円で、シャルケから約2億9000万円で獲得したラキティッチは約28億円でバルサに買われていった。ブルージュに約3億5000万円支払ったバッカは、その10倍でミランに売ることができた。
モンチが手掛けた選手売買は、これまで320億円を越える利益をクラブにもたらしたとされている。現在のセビージャのリーガを代表する健全経営は、モンチなしには語れない。
となると、クラブも彼の辞意をおいそれと受け入れるわけにはいかない。
結局説得に成功し、モンチは少なくとも20年までセビージャに残ることになった。
一同胸をなで下ろしたことだろう。