“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
病と闘う新潟の若きCB、早川史哉。
再びピッチに躍動する日を信じて──。
posted2016/06/29 17:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
あまりにも突然のことで、正直言葉を失った。
アルビレックス新潟に所属するDF早川史哉が、急性白血病という診断を受けたというショッキングなニュースが、6月13日にクラブから発表された。
ことの経緯は以下の通りだ。
・4月24日(日)、明治安田生命 J1リーグ1stステージ第8節・名古屋グランパス戦後にリンパ節の腫れが認められる(この試合の早川選手の出場無し)。
・4月25日(月)、新潟市内の病院を受診・検査実施。
その後も専門医の慎重な診断を行ってきた結果、急性白血病と診断された。
<早川史哉選手コメント>
「いつも応援してくださりありがとうございます。サポーターの皆さんから受ける応援は幼い頃から夢見ていたもの以上であり、いつも自信や力を与えてくれました。だからこそもう一度、みなさんに元気な姿をお見せできるように病気と闘います。厳しい闘病生活になると思いますが、病気と闘う姿勢や復帰を目指す歩み方を通じて、同じ病気や様々な病気と闘っている人、多くの人に勇気や希望を与えることができればと感じています。華やかじゃないけど自分らしく地道にコツコツと。もう一度大好きなクラブ、アルビレックス新潟に戻ってこられるように頑張ります!」
順調にプロのキャリアを築いていたが……。
彼は新潟の下部組織で育ち、高3のときにはU-17日本代表として、2011年メキシコU-17W杯に出場し、ベスト8という成績を収めた。新潟U-18から筑波大学に進学すると、1年から出番を掴み、大学3年時には屈辱の2部落ちを経験。しかし、4年時にはキャプテンとしてチームを牽引し、1年での1部復帰に導いた。
そして、古巣に舞い戻る白鳥のごとく、新潟に入団すると、CBとして開幕スタメンフル出場を果たし、その後もナビスコカップ1試合を含めて、4試合連続スタメンとまさに順風満帆な船出だった。
しかし、彼に厳しい現実が突きつけられた。白熱したJリーグの中に、本来はいるはずの彼の姿がない。気がつけばファーストステージも鹿島アントラーズの優勝で幕を閉じることとなった──。