野球場に散らばった余談としてBACK NUMBER
阪神に現れた生え抜きの正捕手候補。
“育成落ち”原口文仁とスカウトの物語。
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/06/01 17:00
その活躍ぶりから、すでに侍ジャパン入りまで噂されている原口。待ちに待った阪神生え抜きの正捕手誕生なるか?
一軍投手の配球をテレビで研究した育成時代。
プロ野球の担当スカウトは、獲得すれば終わりではない。選手をフォローするだけでなく、家族の思いも受け止める。
中尾家には時折、ナスやネギなどの野菜が届く。差出人は寄居町の原口秀一さんだ。息子は当初こそ支配下登録だったが腰を痛めて、'13年から育成選手に降格した。不安なのは父もまた同じだ。事あるごとに相談に乗った。いつしか絆が芽生えていた。
「いつも、ご迷惑をおかけします」
中尾は、こう励ました。
「ケガしているときも一生懸命、頑張っていますから。絶対に大丈夫ですよ」
ともすれば暗闇で途方に暮れそうなとき、そっと道筋を指し示す。親身に接してきた、担当スカウトだからこそできることだ。育成で再出発するとき、ショックを受けた様子で報告してきた原口に中尾は言った。
「ケガしている時でも、頭は使えるだろ。ファームの試合を見たり、一軍の試合をテレビで見て勉強しろよ」
昨季までは、二軍の遠征メンバーからも外れるほどの境遇だった。それでも、ひたむきさを失わない。原口に聞けば、一軍の試合もチェックしていたのだという。いま、不慣れなはずの一軍投手を堂々とリードできることに感心する声は多い。
限りなき向上心は大舞台で報われた。
「できないヤツは1回覚えたら忘れない」
あのとき惚れ込んだ原口の心は、いばらの道を乗り越えて、一軍でプレーする原動力になっている。中尾は目を細めて言う。
「育成システムがなければ、去年でクビになっていたかもしれないね。チャンスをもらって、パッと出られるのは、よほどの準備をしていないといけない。それと自分の運だよ。周りがうまく回っているのも原口が持っている運。アイツ、そこまでセンスがいいわけじゃないよ。努力だよ。すぐできるヤツは、すぐ忘れる。なかなかできないヤツは1回覚えたら忘れない」
中尾がスカウトになって初めてドラフトで担当した捕手だった。
「お前がそれだけ言うならということで、菊地さんが推してくれたんだ」
自らの思いを託せる後進が現れた幸せをかみしめる。
「すごく落ち着いている。24歳だろ。俺がプロに入った時とほとんど一緒。全然、高卒7年目なんて遅くない」
還暦を迎えたスカウトから前途ある若者へのエールだった。2人の捕手の思いが重なった。