サムライブルーの原材料BACK NUMBER
小林悠が左手薬指にキスをするまで。
家族とともに歩んだ復活への1年間。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2016/03/08 10:40
小林悠は何度もチャンスをケガでふいにしてきた。それでも、ハリルホジッチは彼を呼んだ。復活にはまだ遅くない。
「代表に呼ばれるたびにケガをして……」
開幕戦から5日後、フロンターレのクラブハウスで話を聞くことができた。
1年前、あのブログをどんな思いで書いたのだろうか、あらためて尋ねてみたかった。
彼は一つひとつを噛みしめるように言葉をつむいだ。
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「これまでケガをしても与えてくれた試練だと思って、自分が成長するチャンスだと思って、クラブハウスに早くきて準備もしっかりやっていたつもりだし、体に気をつけながらやってきて。そのなかで、またケガだったので……。代表に呼ばれるたびにケガをしていて、精神的にもきつかった。凄く悔しくて、そのときの感情を書いたんです」
「笑」と書き込めたのは、家族の存在を抜きにしては語れない。
管理栄養士の資格を持つ妻から、「可愛らしい笑顔の」息子から、栄養面、精神面とあらゆることで最高のサポートを受けてきた。恩に報いるためにも、何があろうとここでひるむわけにはいかなかった。
「いつも奥さんは僕の体のことに気を遣ってくれますし、支えてもらっているというか、一緒に戦ってくれています。それなのに(下を向いたら)頑張ってくれている奥さんに凄く申し訳ないなって思いましたし、だからこそ試練を乗り越えて強くなっていかなくちゃなって」
栄養面を整え、トレーニングも変えた。
それでも、サッカーの神様は、なおも試練を与え続けた。
もういい加減にしてよって思うほどに。
2015年5月のサンフレッチェ広島戦で試合前のアップ中に右ひざを痛め、半月板損傷で手術に踏み切った。7月には再び離脱、シーズン終盤にもケガを負っている。真面目にサッカーに取り組んできた彼に対して、もはや「試練」というレベルでは収まらなかった。
屈しなかった、負けなかった。
妻からは筋肉の回復が早くなるようにと栄養面でサポートを受け、「練習前に水をたくさん飲んだり、マウスピースをつけて練習してみたり、メンタルトレーニングをやってみたり」と自分でもありとあらゆる情報を集めて試し、合うものを取り入れてきた。全体練習後の居残りでもボールを扱うトレーニングばかりをやってきたが、筋トレや体幹トレに時間を割くことに切り替えた。その成果が、開幕戦のゴールにつながったのだ。