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競泳バタフライの代表候補、西田杏。
パラ五輪の夢は絶対にリオでかなえる! 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph byShino Seki

posted2016/02/25 10:50

競泳バタフライの代表候補、西田杏。パラ五輪の夢は絶対にリオでかなえる!<Number Web> photograph by Shino Seki

昨年には日本新記録も更新するなど成長著しかった西田。リオデジャネイロだけでなく、もちろん東京大会も視野に入れる。

「みんなと一緒に泳ぎたい。きっかけでした」

 生まれつき、左上腕欠損・右足大腿骨欠損があった。ふだんは義足を使っている。

「生まれつきこういう体で、この体しか経験したことがないし、不便とは感じなかったですね。長袖とか長ズボンで自分の手と足を隠したこともなかったし。出かけると人に見られることはあります。でも、珍しいものを見るのは仕方ないことなので、あまり気にしてはいなかったですね。両親もみんなと何にも変わらないように、特別扱いとかなく育ててくれたと思います」

 小さな頃から、体を動かすことが好きだった。体育もほとんど休んだことはない。

 水泳を始めたのは小学3、4年生の頃。

「授業で夏にあるじゃないですか。障害があるから泳げないと思われるのが嫌でしたし、みんなと一緒に泳ぎたいと思った。それがきっかけでした」

 以来、泳ぎ続けてきた。

「左手と右足がないので対称なんですね。例えばですが、片方麻痺の人であったり右手と右足欠損の人よりバランスがとりやすいと思うんです。泳いでいたら自然にバランスがとれるようになった感じです」

実績を重ねるうちにパラリンピックが目標に。

 本格的に水泳に打ち込むようになったのは、川越女子高校に入学し、水泳部に入ってから。

「みんな健常者じゃないですか。だから速いんです。足手まといというわけではないけれど、必死でついて行こうと練習しました」

 泳げばタイムが伸びていった。好きな水泳が、さらに好きになった。タイムの伸びにつれ、少しずつ大きな大会に出られるようになっていった。2013年にはアジア・ユースパラリンピックに出場し、100m背泳ぎで優勝、100m自由形では2位となる。 2014年には仁川アジアパラ競技大会に出場した。風景が広がるにつれ、「もっと速くなりたい」と思った。

 出会いもあった。

「パラリンピックに出ている先輩とかに会う機会が増えたんですね。かっこいいなって憧れが大きくなっていきました」

 自分もパラリンピックに出たい。そう考えるようになった。

【次ページ】 「トップになりたいじゃなく、自分もなれる」

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