球道雑記BACK NUMBER
エースのエゴか、チーム愛なのか――。
ロッテ・涌井秀章、最多勝の真相。
posted2015/12/29 10:40
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph by
NIKKAN SPOPTS
Number Web版“プロ野球・ゆく年くる年”企画は、全12球団の短期集中コラムシリーズです。年末年始にかけて、全12球団の2015年の振り返りと2016年の夢を、チームへの思い入れたっぷりの筆致でお伝えいたします!
第5回目は2015年は惜しくも“5年周期下克上”ならなかった、千葉ロッテマリーンズです。
2015年の千葉ロッテに涌井秀章がいなかったら、今年のプロ野球ペナントレースはまた違う結末を迎えていた。そう感じずにはいられない。
今季の前半戦終了間際、7連敗を喫した千葉ロッテは、埼玉西武とのクライマックスシリーズ(CS)出場圏となる3位争いで、一時期大きな後れをとった。
そこからなんとか立て直して、世間を「下剋上アゲイン」とにぎわせたシーズン終盤の戦いぶりではあったが、まさに涌井あってのものだったし、彼こそが2015年の千葉ロッテの「象徴」と言ってもけっして言い過ぎじゃない。そんな活躍だった。
涌井は、後半戦だけで12試合に先発して9勝を挙げ、最終的には大谷翔平と並び最多勝のタイトルを手にした。「大黒柱」としてチームをCS出場へ導いたわけだが、そんなタイトル獲得について、本人はこんなことを話してくれた。
最多勝のタイトルをかけてマウンドに上がった10月6日の今季最終戦(対東北楽天戦)の直前の頃についてである。
「CSの初戦にも登板できる準備はしていた」
「リーグ最終戦へ向かう前に、ピッチングコーチの落合(英二)さんと雅さん(小林雅英)の2人と、僕の3人で話をしました。そこで(最多勝とCSを)どうするみたいな話になって、2人は『この一年間を(ワクが)引っ張ってきたから、俺らはタイトルを獲ってほしいんだよ』と言ってくれたんです。もちろん自分はその2人に『CSで勝つためにそっちの準備をしてくれ』と言われたら、そうするつもりでいました。でも、そうやってせっかく言ってもらえたので、じゃあ分かりましたと答えたんです。それで、最終戦の仙台で投げた。それでも、CS1stステージの初戦に投げてと言われたら、そういう準備もしてきましたよ」
福岡ソフトバンクとのCSファイナルステージ敗戦後には、あらゆる方面から涌井に対して「チームの優勝よりもタイトルを優先した」と、非難する声があがった。しかし、真相は少しだけそれと違う。涌井があの日最終戦のマウンドに上がったのは、コーチ、監督と充分に話し合った結果であったし、涌井自身はタイトルよりもチームの優勝を優先する考えでいた。
そうした事情を野手たちも十分わかっていたからこそ、あの10月6日の最終戦で奇跡は起こった。