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ケータハムF1チームついに消滅――。
最後まで忠誠を尽くした裏方たち。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byMasahiro Owari
posted2015/02/28 10:40
人々のさまざまな思いを乗せて走った可夢偉の最終戦のリザルトは42周リタイヤ。有終の美は飾れなかったが、スタッフたちの表情には満足感が浮かんでいた。
通常70名前後のスタッフがわずか41名で……。
アブダビにケータハムのチームウェアを着てやってきたのは、ドライバーとチーム代表を除いて41名。
トップチームはエンジニアとメカニックだけでも70名前後になることを考えれば、ケータハムがいかに少数で戦おうとしていたかがわかる。さらに、そのうち3名はケータリングスタッフ。つまり、マシンを走らせるスタッフは38名しかいなかったのである。
そのうちのひとりが、レースチームでコーディネーターを務めるグラハム・スミスだ。
スミスは、'80年代にブラバムでF1の仕事を開始したベテランである。その後、ティレルやB.A.Rなどを渡り歩いてきたスミスには、この世界で生きて行くための哲学があった。それはチームへの忠誠心だった。
「ブラバムも、ティレルも、そしてB.A.Rも、すべてF1から消滅した。確かにチームが消滅するというのは悲しいことだが、F1の歴史を振り返れば数え切れないほどのチームが消えていった。でも、そこで働いていた人が全員いなくなるわけではない。私以外にも多くの人がいまもF1で仕事しているよ。そのとき大切になるのが、チームに対する忠誠心なんだ。チームが苦しい状況だからといって抜け出すような人間をだれが信用できる? F1の世界は厳しいけれど、そんなに悪いものじゃないよ」
ケータリングスタッフにまで慕われていた可夢偉。
そんなスミスをはじめとする38名とドライバー2人、そしてチーム代表の胃袋を守ったのが、シェフも含めて3名のケータリングスタッフだった。
トップチームのケータリングスタッフはシェフだけでも3名以上いるところもあり、合計3名というのは通常はあり得ない。ケータハムもロシアGPまでは5名以上のスタッフでサービスを行なっていた。
しかし、さまざまな事情からアブダビへは3名しか行くことができなかった。それでも、アブダビでリーダーを務めていたファティナ・エッセバールの顔に翳りはなかった。
「仲間たちがアブダビへ行くっていうのに、私たちが行かないわけにはいかない。特に可夢偉は私たちケータリングスタッフにとって特別な存在だったから。いままでいろんなドライバーを見てきたけど、私たちにまで毎日あいさつしてくれたのは彼だけ。だから、私たちもメルセデスAMGやレッドブルにも負けないサービスを彼に贈りたかったの」