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雨の鈴鹿、悲劇はなぜ起きたか。
ビアンキの無事を総力で祈るF1界。 

text by

尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byHiroshi Kaneko

posted2014/10/07 11:20

雨の鈴鹿、悲劇はなぜ起きたか。ビアンキの無事を総力で祈るF1界。<Number Web> photograph by Hiroshi Kaneko

日本GPで優勝を果たし、ニコ・ロズベルグを抜いて首位にたったルイス・ハミルトン。表彰台上には賑やかな雰囲気が無く、驚くほど陰鬱だった。ジュール・ビアンキの無事が祈られる。

スーティルが、そしてビアンキがクラッシュ。

 それでも、日曜日に鈴鹿に詰めかけた7万2000人の観客の思いが通じたのか、その後しばらくして雨脚は弱まり、レースは約20分後の午後3時25分に、再びセーフティーカー先導によって再開された。レース中盤にはロズベルグとハミルトンというタイトルを争う2人による激しい勝負も見られ、このまま無事に日本GPが終演するかと思われたレース終盤、雨脚が再び強くなり出す。

 その直後、スーティルがコントロールを失ってダンロップ・コーナーの出口でクラッシュ。マーシャル(コース係員)はスーティルのマシンを撤去するため、クレーン車を出動させ、ダンロップ・コーナーの手前にいたマーシャルは黄旗を2本出して、走行中のドライバーに注意を促した。

 ところが、悲劇はその直後に起きる。1周後、同じ場所で今度はビアンキがコントロールを失ってコースアウト。1周前のスーティルはタイヤバリアに突っ込んだため無事だったが、スーティルのマシンを撤去するために出ていた作業車に激突し、頭部を強打したビアンキは意識不明の重体となった。すぐにセーフティーカーが出動し、レースは終了。セーフティーカーに先導されてスタートしたレースは、セーフティーカーに引き連れられて幕を下ろしたのである。

ハミルトン「僕の勝利のことなんて、どうでもいい」

 優勝したのは'07年に続いて、日本GP2勝目となったハミルトン。'07年も雨の中での勝利だったが、当時は富士スピードウェイでの開催だったため、鈴鹿での栄冠はこれが初めてだった。しかし、表彰台でのハミルトンに笑顔はなかった。

「僕の勝利のことなんて、どうでもいい。とにかく、ジュールのことが心配だ」

 その気持ちは、ハミルトンとともに登壇していた2位のロズベルグ、3位のベッテルも同じだった。

「僕らの思いはひとつ。ジュールと彼の家族、そしてマルシアのスタッフたちと共にある」(ロズベルグ)

「今日のコンディションがどれだけ難しくて、常にマシンが滑りやすい状態だったのかは、ジュールと一緒にレースをしたみんなが知っている。だから、いまは何も言わず、最善の結果を祈りたい」(ベッテル)

【次ページ】 マンセル、ラウダの心中はいかほどか……。

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