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また1人、F1を熟知する者が去った。
跳ね馬の重鎮モンテゼモーロが辞任。 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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posted2014/09/21 10:40

また1人、F1を熟知する者が去った。跳ね馬の重鎮モンテゼモーロが辞任。<Number Web> photograph by AFLO

左からジャン・トッド、ミハエル・シューマッハー、モンテゼモーロ、ルーベンス・バリチェロ。1993年のフェラーリの面々。まさに黄金時代だった。

シューマッハーらを擁し、ドリームチームを率いた。

 その後、'77年限りでフェラーリを去ったモンテゼモーロは、フェラーリの親会社であるフィアットの役員として当時会長を務めていたジャンニ・アニエリに仕え、やがてフィアット・グループのレース活動部門のトップに立つ。

 ところが、'88年にエンツォ・フェラーリが他界しフェラーリが苦境に陥った。すると'91年、モンテゼモーロは跳ね馬の社長兼チームマネージャーとして復帰。ジャン・トッドやミハエル・シューマッハーらを招聘してドリームチームを作り上げ、王座を奪還したのである。

 黎明期にF1参戦を決意し、フェラーリをレースチームとして確立したのがエンツォなら、F1という舞台でフェラーリを王国として繁栄させたのがモンテゼモーロ。つまり、エンツォ同様、モンテゼモーロもフェラーリの顔というべき存在で、多くのティフォシから愛されていた。実際、ロードカー部門の営業成績は良かった。にもかかわらず、そのモンテゼモーロが辞任に追い込まれた。

フィアットのCEOとのグループ内抗争に敗れ……。

 その理由はF1の成績ではない。

 あるイタリア人ジャーナリストによれば、今後フェラーリを率いることになるフィアットのCEO、セルジオ・マルキオンネとの対立が原因だという。

「2人は'03年に会長だったアニエリが亡くなってから、ずっとグループ内で覇権争いをしていた。当初はモンテゼモーロのほうが知名度の高さもあって優勢だったが、リーマンショック後に世界経済が大きく変化。それに乗じて巻き返して来たのがマルキオンネだ」

 両者の力関係が明確に逆転したのは、今年1月だった。 1月20日にフィアットがクライスラーグループの全ての株式を取得。社名も「フィアット・クライスラー・オートモーティブ」(FCA)に変更された。グループのグローバル化を進めるマルキオンネは、これまでフェラーリに与えてきた独立性を排除しようとし、対照的にモンテゼモーロはフェラーリの伝統を重んじようと抵抗し続けた。

 果たして、グループ内抗争に勝利したのはマルキオンネだった。その事情を知っていればこそ、フェラーリを愛するイタリア人にとって、今回のモンテゼモーロの事実上の更迭には複雑な思いばかりが募るのである。

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