Jをめぐる冒険BACK NUMBER
勝ち点53からJ1残留へ目標を変更。
迷走大宮のフロント力を問う。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2014/09/06 10:40
目標を勝ち点53から残留に変更したことを示す大宮サポーターのフラッグ。奇跡的な残留を何度も実現したクラブは、今年も生き残ることができるのか。
何度も残留のきっかけとなってきた「さいたまダービー」。
どんな形でもいいから勝って嫌な流れを断ち切りたいチームにとって、このタイミングでの首位との対戦は、本来ならば最も避けたいカードのはずだ。
しかし、さいたまダービーとなれば話は変わる。J1における対戦成績は7勝5分7敗のイーブン。むしろ、大宮にとってダービーは過去に何度も、J1残留を決定づけるターニングポイントとして存在してきた。
'07年の24節、首位の浦和に挑んだ17位の大宮は、森田浩史のゴールを守り切り9試合ぶりの勝利を挙げると、最後は15位でフィニッシュした。
'09年の30節は2連敗してダービーを迎えたが、連勝中だった浦和に3-0で完勝。その後、順位をふたつ上げて13位で終えた。
'12年の24節には大宮が17位、浦和が3位という順位で対戦。先制されながら1-1の引き分けに持ち込むと、そこから無敗でシーズンを駆け抜け翌年まで続く21試合無敗というJ1記録へと繋がっていく。
大宮ユース出身で、何度もダービーを経験してきた金澤慎は「この試合が浮上するためのカギを握っていると思っていた」と語った。しかし、結果は0-4。11人同士で戦ったJ1でのダービーではワーストの結果に終わり、J1昇格10年目という節目のJ2降格が現実味を帯びてきた。
「大熊監督のチームらしさ」がない今年の大宮。
このさいたまダービーをはじめ、今季の大宮のゲームを何度か見て思ったのは「大熊監督のチームらしくない」ということだった。
東京を率いてJ2を戦っていた'11年、戦術的な危うさはあったものの、サッカーの本質の部分――目の前の相手に負けない、あと一歩のところでしっかりと足を出す、ボールを奪われたら奪い返しにいく――をチームに植えつけていくことには長けていた。
当時大熊監督の指導を受け、のちに日本代表に選ばれた高橋秀人は「クマさんがチームに足りなかったものをもたらしてくれたのはたしか」と語っていた。