Jをめぐる冒険BACK NUMBER
ジュビロ降格の陰に3つの「不在」。
パートナー、リーダー、そして伝統。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAFLO
posted2013/11/12 10:30
不振を極め、いまだ得点が1ケタにとどまるエース・前田遼一。獲得を目論む国内外のクラブも多いなか、今冬の去就に注目が集まる。
甲府・城福監督と磐田との、降格をめぐる因縁。
他会場より1日早い金曜日の夜に柏レイソルとの25節を戦った磐田は、今季のベストとも言えるパフォーマンスで3-1の勝利を収めた。
2ゴールを奪った前田は「今シーズン、初めて仕事をした」と語り、山田は「きっかけを掴めたと思う」と手応えを口にしたあと、「明日負けてくれるといいんだけどね」と願ったが、甲府は翌日、鹿島アントラーズを3-0で下し、勝点差は縮まらなかった。
そればかりか、連勝して勢いを付けたかった26節、磐田はその鹿島に開始4分に先制され、2-3で敗れてしまうのだ。
思えば、開幕から8戦目にしてようやく初勝利を飾り、連勝して嫌な流れを断ち切りたかった9節で、完敗した相手も甲府だった。
磐田の命運は、甲府が握っていたのかもしれない……と、そんなことを考えていて、ふと思い出したのは3年前、'10年9月の出来事だった。
甲府の城福浩監督が当時、率いていた東京の監督を解任されたとき、引き金になったのが磐田戦での敗戦だったのだ。磐田と甲府、そして城福監督をめぐる因縁が今回の残留争いには見え隠れしていた。
「ジーコスピリット」根付く鹿島とは対照的な磐田。
ここまで磐田の戦いぶりを振り返ってきたが、もしかすると、J2降格は現体制の前から定められていた運命だったのかもしれない。
'90年代後半から2000年代前半にかけて、磐田は黄金時代を謳歌していたが、当時の伝統やスタイルといった財産が、今はほとんど残っていないのだ。
'05年に藤田俊哉が名古屋グランパスに移籍したのを皮切りに、'06年には名波がセレッソ大阪に、'07年に福西崇史が東京、服部年宏が東京ヴェルディに移籍した。
8月23日に行なわれたクラブのJリーグ昇格20周年記念トークショーの中で名波氏は、当時を振り返ってこう話している。
「ベテランにとってはバランスを取ってもらいたい時代でしたね。少し意固地になって、若手、若手という時期もありましたから」
まるで「脱黄金時代」を掲げるかのように急激な変化を求め、華麗なパスサッカーや、その裏にあった勝利のメンタリティ=「ドゥンガ魂」が次の世代にしっかりと引き継がれなかった。
それは、当時のライバルである鹿島に今なお「ジーコスピリット」が根付いているのとは対照的だ。