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アロンソの真の敵は天才デザイナー!?
生ける伝説A・ニューウェイの革新性。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2012/11/02 10:30
韓国GPでトップを独占して表彰台に立つレッドブルチームとアロンソ。写真の一番左側がニューウェイ。
「僕らがタイトルを賭けて戦っているのはベッテルとだけじゃない。僕たちはこれからニューウェイと彼が作ったマシンとも戦わなければならない」
第17戦インドGP公式予選で5位に終わったフェルナンド・アロンソは、予選後に開かれた会見で珍しく語気を強めた。ニューウェイとはレッドブルのチーフテクニカルオフィサーであるエイドリアン・ニューウェイのことだ。
ウィリアム・シェークスピアの故郷として名高いストラトフォード・アポン・エイヴォンで1958年に誕生したニューウェイはサウサンプトン大学の航空工学で優秀な成績を収めた後にモータースポーツ界へ足を踏み入れる。
ニューウェイの才能が開花したのは、渡米した'80年代中盤だった。マーチのCARTプロジェクトに参画し、'84年にインディ500を制覇。翌年からはタイトルも連覇する。その後、ヨーロッパに戻り、F1界に挑戦。ウイリアムズとマクラーレンに在籍していた15年間に通算94勝、5度のタイトルを獲得したことから、チャンピオンメーカーとも呼ばれるようになる。
模倣することを良しとせず、常に革新的なマシンを創造する。
そのニューウェイの才能の高さが、F1界で再認識させられたのは、レッドブルに移籍した2006年からだった。
ニューウェイが栄光を手にしたウイリアムズとマクラーレンは、すでに優勝を経験しているトップチームだったが、レッドブルは'05年に設立したばかり。しかも、前身のスチュワート(ジャガー・レーシング含む)時代を含めた9年間で、優勝はわずかに1回という新興チームだったからだ。
だれもがニューウェイの移籍は無謀だったと予想した。大方の予想通り'06年と'07年、そして'08年と思うような結果を残せなかった。ある程度の結果をすぐに求めるならば、ニューウェイほどの力があれば、それまでの知識を元にライバルたちと似たようなマシンを設計すれば、それなりの成績は出せたはずである。
しかし、常に納得のいく開発を独自の路線で進めたがるニューウェイは、それを良しとしなかった。