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“グラウンドの孔明”西武・佐藤友亮。
34歳で現役引退し、次の天職へ――。 

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中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byHideki Sugiyama

posted2012/10/05 12:25

“グラウンドの孔明”西武・佐藤友亮。34歳で現役引退し、次の天職へ――。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

シーズン打率で3割を超えていた2008年には、その勝負強さをプレーオフでも見事に発揮し、チームの日本一に貢献した。名前の「友亮」の漢字から、“グラウンドの諸葛亮孔明”と呼ばれた。

 佐藤友亮は、どう結論づけているのだろう。決して順風満帆とは言えなかった12年間の現役生活を。

 西武の佐藤が先日、引退を発表した。

 入団1年目、大学を卒業したばかりだった佐藤に「野球を天職だと思うか」と質問したことがある。すると、何度も首を傾げながら、こう答えた。

「……どうなんですかね。わからないです。そういうのって、終わってからわかるんじゃないですか」

 そんな質問をしたのには、理由があった。

 大学を卒業する時点で、佐藤には、プロ野球選手になるという道以外にも、いくらでも選択肢があったからだ。

 プロ野球選手になった人の中で、学生時代、佐藤ほどハイレベルな「文武両道」を実践した人はそうはいないのではないか。

中学、高校、大学と常に学業成績が良く、弁護士を目指していた。

 中学時代、学業成績は常に学年トップだったという佐藤は、一般受験で慶応高校に入学。野球部では、エースとしてチームを牽引し、2年夏には激戦区・神奈川で準優勝を果たした。この頃の慶応高校には、まだ現在のようなスポーツ推薦制度がなく、決勝戦に進んだだけでも掛け値なしの快挙だった。

 大学は弁護士に憧れていたこともあり、慶応大学法学部に進む。そして勉学の傍ら、東京六大学リーグでも華々しい活躍を見せた。2年春に首位打者を獲得し、4年秋にはリーグ優勝も経験している。

 学生時代の佐藤は、野球を取ったら何も残らないというタイプでは決してなかった。

「そういう風にはなりたくなかったんです。小さい頃から」

 余談ながら、入団1年目、あるスポーツ誌に佐藤の小さな記事を書いた。すると年始、そのときの礼状をかねて年賀状が届いた。そのことにも驚いたが、そのあまりにもきれいな字に二度、驚いた。ペン字の見本のように、丁寧で、美しかった。後にも先にも、あんなにきれいな字を書くプロ野球選手は見たことがない。

 慶応大学法学部卒で、スポーツ選手としても一流で、そういう人柄である。おそらく当時、希望すれば、どの企業でも行けたのではないか。

 社名は教えてくれなかったが、ドラフト時、ある大企業に内定は決まっていたようだ。

【次ページ】 「人生は野球がすべてではない」という慶大野球部。

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