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高校生の“怪物”が北島を超えた!?
平泳ぎ・山口観弘の異常な「探究心」。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byHiroyuki Nakamura
posted2012/09/24 10:30
記録が出にくいとされる屋外プールでのレースだったことに加え、2着の選手と5秒以上離れるという、ライバル不在の中での記録樹立は異例だ。
飛躍のきっかけとなった平井伯昌コーチとの出会い。
そして今日の飛躍の理由には、「出会い」もある。
昨秋、有力な選手を集めて行なわれた強化合宿に参加した際、大脇氏が仕事の関係で上京できないため、北島らを指導してきた平井伯昌コーチに教わったのだ。
それをきっかけに、地元での練習に加え、上京しては定期的に平井氏のもとで練習するようになった。
「何のためにやるのか、考えられた練習メニューでした。特に、ウェイトトレーニングなど泳ぐ以外の練習を積んだことが効いていると思います」
と、山口は振り返る。
「ロンドン五輪に出られなかったのがばねになりました」
今夏の大活躍に、「ロンドン五輪に出ていれば」、そんな声もちらほら聞こえる。しかし、大脇氏はそれを否定する。
「オリンピックに出られなかったからこそ、ここまで伸びたんだと思います」
山口は、ロンドン五輪出場を目指していたという。しかし、今年4月の日本選手権200mで、五輪代表入りの資格である派遣標準記録を破りながら北島、ロンドンで銅メダルの立石諒に次ぐ3位にとどまり、代表入りはならなかった。
「悔しいだろうし、辛いだろうと。どう声がけしようかと考えました」
思い悩んだ大脇氏は、考えた末、こう言葉をかけた。
「高校総体ではオリンピックの優勝タイムより速く泳ごう。『山口を連れて行けばよかった』と思われる泳ぎをしよう」
負けず嫌いで気持ちの強い山口の性格を考えての言葉だった。
「出られなかったのがばねになりました」
山口もそれを認める。
「負け惜しみに聞こえるかもしれないけれど、行かなかったから伸びたと思います。ロンドンはテレビで観ましたが、(400m個人メドレー銅メダルで同級生の)萩野公介はもちろん、康介さんやみんなが刺激になって自分も頑張らないと、と思えた。それが起爆剤になりました」