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<トライアスロン女王への挑戦> 上田藍 「金メダルまで39秒」
text by
赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph byAFLO
posted2012/07/11 06:01
辛抱強い練習が結実し、'08年アジア選手権で涙の優勝。
チームの寮では3歳年上の大学生と相部屋になった。2DKをシェアし、家賃も折半で2万5000円。毎朝5時半から練習に打ち込んで、トライアスロンクラブの受付をしてアルバイト代を稼ぎ、毎日の食費や合宿代に充てた。合宿の全日程に参加するには費用が足りず、まだほかの選手たちが練習を続けているのに、2泊3日で切り上げ、稲毛に帰らざるを得なかったこともある。
そんな上田を励ましてくれたのが、受付で声をかけてくれる一般の会員たちだった。
「藍ちゃん、練習、頑張ってる?」
京都のスイミングスクールと同様、多くの人が家族のように接してくれる。ここで愛されているという実感が心の支えになった。
ここからの歩みは、地道に努力を重ねる、辛抱強い上田の性格を如実に表している。2年目の'02年、ジュニアのアジア選手権大会優勝。'03年にU-23に進んで、'04年にはジャパンカップ和歌山大会優勝、世界選手権マデイラ大会で6位入賞。'05年からいよいよエリートのカテゴリーへ入る。ここからは、世界選手権やワールドカップなど、一人前のプロとして年間最大18レースを戦わなければならないのだ。山根が解説する。
「このレース数の多さがマラソンとの最大の違いなんです。月に1~2レース、多い月で3レースで、年間のピークは1~2回。そのピークに向けて、ほかのレースを実戦練習と位置づけて調整していくわけです」
'06年、ピークに位置づけたドーハ・アジア大会で銀メダルを獲得。'07年には日本選手権東京港大会でエリートとして初優勝。そして'08年、アジア選手権広州大会で優勝し、北京五輪への初出場を決める。ゴールテープを両手でつかんだ瞬間、上田は初めて泣いた。
同じ北京に出場した井出樹里は'06年にトライアスロンを始めて、2年で五輪切符を手にしている。天才型の井出とはあまりに対照的な8年目の大願成就。まさに一歩一歩、1年1年、着実に成長を遂げてきたのである。
4年間で地道に詰めた世界との差。努力の結晶をメダルに。
しかし、北京で感じた五輪のレベルの高さは予想以上だった。最後に得意のラン勝負で突き放されたのだ。上田が振り返る。
「もう身体を動かしたくても動かせない状態だった。でも、意外に冷静でしたね。4年後までにどこをどれだけ鍛えなきゃいけないのか、走りながら考えていました」
結果、17位でフィニッシュした直後、上田は迎えてくれた山根に叫んだ。
「ロンドンを見ててください!」
4分近くある金メダルとの差をいかにして縮めるか。
この4年間の上田の努力は、プレ五輪大会の39秒差となって表れている。本当にメダルをつかむまで、あと少し。藍なら、いつか勝てるから。父と母の言葉が、最高の形で現実になろうとしている。