十代の頃には単調な練習を嫌い、逃げて遊んでいた。

　だが、生来の落ち着きのなさと相次ぐケガのせいで、ボルトはなかなか練習に集中しない。1週間分の練習メニューを前もって渡すと、きつい練習の日は姿を現さないこともあった。そこで、当日に練習内容を伝えるという秘策に出る。それでも、隙を見てさぼる。イタチゴッコのような日が続いた。

　10代のボルトには、単調で面白みのない練習よりもガールフレンドとのデートやクラブで踊っているほうが楽しかった。ミルズは、そんなボルトの私生活を苦々しく思っていたが、一方的に否定せず、あくまでも大人として扱った。

「練習はきちんとしろ。練習できないなら、遊ぶな。走ることが仕事で、お金をもらっている『プロ』なのだから」と。

　なんとかケガも収まり、北京への第一歩として臨んだ'05年のヘルシンキ世界陸上ではシニアの大会で初めてファイナリストになったが、決勝130ｍほどで肉離れを起こし、足を抑えるようにしながら最下位でフィニッシュラインをまたぐ。小雨の降る寒さ、まだ成長途上の若い体に200ｍを4本走る体力はなかった。

世界陸上で惨敗した後、再び厳しい練習に戻る決心を。

　再び、ドイツの専門医のもとでのリハビリ生活に。下半身の筋力に依存し、背中や腰に負担がかかり、その結果、ハムストリングに痛みが出るという悪循環に陥っていた。ケガの原因は、柔軟性のなさと考えたミルズは、練習前後のストレッチを厳命する。さぼったツケは自分に返ってくることを嫌というほど痛感したボルトはおとなしく従った。その甲斐あって'06年のシーズンは200mで自己ベスト、そしてシーズン終盤に行われたアスレチックファイナル、ワールドカップという大舞台でそれぞれメダルを獲得。なによりも4年ぶりにシーズンをケガなく走り通せたことに、師弟は胸をなでおろした。

　北京まであと2年となった'07年シーズン。100mも走りたいと主張するボルトに対し、ミルズは、「ジャマイカ記録を破ってからだ」とはねつける。ほかの指導者同様、長身のボルトは100mよりも400mに適性があるとミルズも考えていた。あくまでも200mの練習の一環だったが、45秒28という好記録をマーク。これは北京五輪ならば3位に入る記録だ。しかも、400mのおかげで後半の伸びが大きくなり、200mのジャマイカ記録を37年ぶりに更新、大阪世界陸上では銀メダルという結果を手に入れた。だが、リレーでも銀メダルを取り、浮かれて練習に集中しないようになると、ミルズは再度気合いを入れ直した。

「お前は何のために走っているのか、自分が手に入れたいものは何か。最大の目標はオリンピックの金じゃないのか？」

　いつにない口調で怒りを表すミルズの言葉に、ボルトは横っ面をひっぱたかれたような思いだっただろう。

「オリンピックで金メダルを」の言葉でついに目覚める！

「オリンピックで勝ちたい」

　長い夢から目覚めた怪物は、周囲も驚くほどの熱心さで練習に取り組んだ。大阪のビデオを何度も見直し、スピードと爆発力が不足していると分析。筋力アップのウェイトトレーニングを、また瞬発力向上のため、全身の筋肉を一気に爆発させるプライオメトリック・エクササイズを導入。週に6日間、練習に没頭した。

　爆発力を付けるための牽引走では、30㎏近いウェイトを引っ張るダッシュを繰り返す。重石が付いている分、動作がゆっくりになるので体に正しい動きを身に付けさせることができる。最初の数歩で加速しタイムを上げるためには、必要な練習だ。しかし、一歩間違えばケガにもつながるため、集中力が必要になる。

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