THE MIRACLES 1980-2010 奇跡の演出者たちBACK NUMBER
<THE MIRACLES 1996.7.21>“マイアミの奇跡”への濃密な18分間~最強軍団をいかにしのいだか~
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2010/04/08 11:30
ジュニーニョはこの試合、両チームを通じて最多となる7本のシュートを放ったが、ついにゴールネットを揺らすことはできなかった
「必死だった。でも不思議なほど疲れはなかった」
<アウダイールがヘッドッ! しかしボールは左へ。47分30秒、試合を決定するかのようなクロスでしたが……。敗戦は目前です。こんなことがあっていいのでしょうか>
ブラジルのテレビ局が敗戦を覚悟した数秒後、終了のホイッスルが鳴り響いた。ブラジルが放った28本のシュートは日本の7倍である。ずっしりとした疲労に襲われてもおかしくないが、田中はロッカールームへ戻るまで腰を下ろしていない。
「楽しい気持ちは全くなくて、最後まで必死だった。でも、不思議なほど疲れはなかったなあ。これだけシュートを打たれたら、普通グッタリするんですけどね」
“マイアミの奇跡”を誰よりも冷静に受け止めていたのは、実は当事者たる彼らだったのかもしれない。少なくとも、実際にプレーした選手たちにとっては奇跡でなかった。記憶に刷り込まれた映像が目前の攻防をしのぐ手立てとなり、試合中に集積する新たな情報が勝利の可能性を拡げていったのだ。少しずつでも、しっかりと、確実に。
「みんなが最後まで集中していた。ホントに危なかったシーンは、それほどなかったですからね」と川口は話した。五輪予選突破に涙した男の頬は熱気にうたれ、流れ出る汗がつたわっていた。