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柔道世界王者・中村美里が
ロンドンまで世界選手権全勝宣言。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShino Seki
posted2009/11/07 08:00
谷亮子と同い年の16歳で福岡国際女子柔道を制した中村は“ポスト谷”と呼ばれていた。谷との対決も期待されたが、身体が大きくなり泣く泣く階級を上げざるを得なかった
ようやく、笑った。表彰式の壇上で、ふっ、と笑みを浮かべた。優勝が決まった試合直後にも見せなかった笑顔である。
今年8月、オランダ・ロッテルダムで行なわれた柔道世界選手権で、52kg級の中村美里は初出場で金メダルを獲得した。
初戦は、慎重に入った気配が感じられた。
無理もない。
世界選手権を1カ月後に控えたスペインでの日本代表強化合宿で、中村は左膝を負傷していた。5月のグランドスラム・モスクワで優勝し、合宿でも好調を伝えられていた矢先のことである。
「海外で怪我したので、症状は詳しくわからなかったし、痛みもそんなになかったので不安はなかったのですが」
初めて経験した全治5~6週間の大けが。
帰国後、検査を受ける。結果は、「左膝靭帯損傷、全治まで5、6週間」であった。
「ショックでしたね。ショックというか、びっくりして」
当然、まともに練習はできない。練習熱心な選手にとって、練習できないことほど辛いことはない。まして、大きな大会を控える時期だ。
しかし中村は、焦る心を抑えた。
「開き直って、いつまでも考えてもしようがないと思って、切り替えはできました。できることをやっていこうと思いました」
こうして臨んだ大会である。入りが慎重にならざるを得なかったのもやむをえない。
それでも中村は順調に勝ちあがる。準々決勝の何紅梅(中国)、準決勝のチョ・ソンヒ(北朝鮮)戦では、激しい組み手争いが繰り広げられた。中村は、釣手を引くことができず、十分な体勢を取ることができない。だが、不十分でも得意の足技を出すことで優勢に戦い、勝利を収める。
決勝は、48kg級の第一人者であったベルモイ(キューバ)。
「海外の選手では珍しく組んでくれるので、比較的やりやすい選手です」
互角の攻防の中、先に指導を受ける。一度目の指導はポイントにならないが、ここから中村は得意の足技を連発する。するとベルモイにも指導。残り1分25秒となると、大外刈りでついに技ありを取る。そのまま試合は終わり、中村は、世界一に輝いた。
しかし、試合中の表情そのままに、中村は畳から去っていった。
世界選手権で優勝してもまったく喜ばなかった理由。
「優勝して喜んではいましたが、ほっとした方が大きかったです。ただ、決勝前に、園田先生(全日本女子監督)に、『レベルの違いを見せた内容で勝て』と言われていたのに、先に指導も取られたし、最後の最後に技をかけられて終わりました。そういうことを考えたら、まだまだだなと思ったんです」
「まだまだ」と語った中村だが、この世界選手権では、柔道のスタイルに変化が見られた。寝技の積極性、立ち技の交え方など、組み立てが多彩になったのだ。
「寝技もそのほかも強化してきたのですが、練習でやってきたことが試合で出たという感じです」
中村の柔道の進化だと言える。
進化の基にあるのは、悔しさと、強くなりたいという思いである。