カンポをめぐる狂想曲BACK NUMBER
From:北京「五輪とスモッグ。」
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byShigeki Sugiyama
posted2007/06/21 00:00
オリンピックまで、まだ1年もあるのにすでに五輪ムード一色。
食事はおいしいし、物価も日本に比べるとはるかに安い。
それでも、諸手を挙げてお勧めできない理由があるのだ。
本場で味わう北京ダックは確かに美味い。上海人に言わせれば、北京の飯はイマイチらしいが、ダックに限らず、僕がこれまで食べた飯に外れは一つもない。一口食べただけで、それまで弾んでいた会話が途端に止むほど、感動的な料理ばかりにありつくことができている。
北京は素晴らしい。来年に迫った五輪がいまから待ち遠しい。いつもならそれだけで、「皆さんもさあ北京へ!」と、この街を絶賛しているに違いない。
バブルの真っ直中にあるとはいえ、日本に比べると物価はずいぶん安いので、欧州にいるときのように、財布の中身をそう心配しなくても済む。乗り物に乗るときに、並ぶ習慣がなかったり、エスカレーターでも片側に立つ習慣がなかったり、タンやツバを地面にぺーぺーと吐いたり、弱ってしまうこともないわけではないけれど、全体的には「合格」と、思わず言いたくなる、魅力に溢れた街であることは事実。
しかし、それでも僕は、懐疑的な目でこの街を眺めている。
北京の気候は典型的な内陸性気候だ。冬は寒く、夏は暑い。つまり、いまはとても暑い。東京よりずいぶん緯度は高いのに、気温は連日、30度を超えている。北京五輪の開幕は8月8日なので、酷暑の中で行われる大会になることは間違いない。
懐疑的になる理由は、僕が単に暑がりのデブだからではない。話はもう少し深刻になる。想起するのは、ずいぶん前の東京。僕が中学生だった頃の東京だ。
晴れているのに青くない、雲に覆われているような空。太陽が霞んで見えてしまう空。周囲を富士山と箱根の外輪山に囲まれた大自然の中で育った僕にとって、東京の夏空は、驚愕に値した。当時から、僕は東京好きで、夏休みともなれば、せっせと上京していったものだが、電車を降りて、その空を見るたびに、憧れる気持ちが半減していった記憶がある。
光化学スモッグ警報発令中。テレビのニュースは、連日警戒を呼びかけていた。学校の屋外プールで泳いでいた生徒が、めまいを起こして倒れたニュースも報じられていた。
北京にいると、あの頃の東京が懐かしく感じられる。いやそれ以上と言うべきだろう。本日は、特に酷かった。モヤと言うより霧。濃霧に近い視界だった。直ぐ目の前にあるビルがモヤって見える。交差点の対面にあるビルでさえ輪郭がハッキリしないのだ。
ゴビ砂漠から飛んでくる黄砂もその原因の一つだろう。でも僕は、それだけだとは思わない。クルマが排出する噴煙も、相当に汚いような気がする。工場の煙突から排出される煙もしかり。京都議定書で決議された内容の基準値とは大きくかけ離れているんじゃないだろうか。高度経済成長に伴う公害の危険を、感じずにはいられない。北京を訪れるならマスクは必携。と言いたいが、陽気は、それが鬱陶しくなるほど暑い。おまけに街には緑が極端に不足している。
とりわけ、快適さの追求をモットーにしている僕にとって、これは大きなマイナス点になる。これからも北京には、何度も訪れそうなムードだし、困った話である。
五輪の前に、やることはあるだろ!と、憎まれ口の一つも叩きたくなるが、日本もそうした過程を辿ってきたわけで、これはこれで仕方がないなという複雑な気にもなる。
しかし、街が五輪ムードで盛り上がっていることだけは確かだ。開幕までまだ1年以上もあるというのに、五輪中心主義一色で染まっている感じなのだ。ドイツW杯やフランスW杯にはなかったノリ。2002年のW杯だって、日本も韓国も、これほどではなかったはずだ。似ているのは1964年の東京五輪や、1988年のソウル五輪だろう。北京の街角には、発展途上にある国が、五輪をきっかけに羽ばたこうとしている姿がしっかりと見て取れる。
サッカーファンとしては、2010年の南アフリカW杯は、どうなんだろうと気になるところだが、その前に、まさに近くて遠い国で行われる北京五輪も、変に騒々しい感じがして、僕には興味深く映る。
いま言えることは、現地で五輪を見るなら、室内競技を優先にすべきだと言うことだ。最適なのは日本もそれなりに強い水泳か?外で延々行われる競技は、ちょっとお勧めできません。たとえば、マラソン選手にとっては、辛くて厳しい42.195キロになりそうである。