チャンピオンズリーグの真髄BACK NUMBER
同国対決の匂い。
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byShinji Akagi
posted2008/06/02 00:00
決勝のマンU対チェルシーは、史上3度目の同国対決だった。
しかし、過去2回と今回との間には決定的な差があった。前回、02〜03シーズンのイタリア対決(ミラン対ユーヴェ)は、守備的な、まさにイタリア臭さがプンプンと漂う決勝だった。前々回、99〜00シーズンのスペイン対決(レアル・マドリー対バレンシア)にも、スペイン臭さが漂っていた。ピッチの上に立ったスペイン人が両軍合わせて15人もいたからだ。
3回目の今回は違った。たしかにイングランド臭さは、モスクワのルジニキ・スタジアムの両軍応援席に思い切り漂っていた。サポーターだけを見ていれば、同国対決の匂いは過去2回を上回る勢いで感じることができた。しかし、ピッチの上の試合に夢中になっていると、それが同国対決であることを忘れそうになる自分がいた。
モスクワの空気はスタンドにも健在で、その旧社会主義国ならではの独特のムードが、サポーターが発するイングランド臭を薄めていたことは確かである。だが、肝心のピッチ上は、それ以上にイングランドの匂いが薄れていた。
それは、オールドトラッフォードでマンUを観戦した際にも、すでに感じていたことなのかも知れない。スタンフォードブリッジでチェルシーを観戦する際にも、同様に感じていたのかも知れない。リバプール対アーセナルの準々決勝の時にも、チェルシー対リバプールの準決勝の時にも、イングランド臭を目一杯嗅いで観戦しているつもりだったが、ルジニキに場所を移すと、おぼろげながら抱いていた違和感は明確なものとなった。
この両チームのサッカーには、長年インプットされてきたイングランド臭がほとんどしないのだ。両軍合わせたイングランド人選手を数えれば、それでも10人存在した。それなりにいたわけだ。となるとイングランドを忘れさせた最大の原因は、サッカーの質になる。例えば、98〜99シーズンにCLを制したマンUは、こんなではなかった。チェルシーにしても同様。数年前のサッカーとは、ガラリと違う内容だった。
リバプールにもそれは言える。アーセナルだけは、ベンゲルが就任した'96年以来、他とは異なるサッカーをしていたが、現在のプレミア4強のうち3チームのサッカーが変わったのは、わりと最近の話になる。
どう変わったのか。一言で言えば、「無国籍調に変化した」となる。他国の美味しいところを吸い上げて結集させた感じなのだ。スペイン的でもあれば、フランス的でもある。オランダ的でもあれば、ポルトガル的でもある。ドイツの匂いも、イタリアの匂いも、まったくゼロではない。その結果、10年前のイングランドの匂いは、ほぼゼロになった。スタンドの雰囲気も、かつてとは見違えるほど健全で安全な場所になっているが、サッカーの中身はそれ以上の変化だ。びっくりするほど激変した。
イングランド(英国)は島国だ。独自の保守的な文化に浸りやすい性質がある。プレミア勢が欧州で振るわなかったかつては、最終ラインから前線目がけて放り込む「オールドスタイル」によって、国中が支配されていた。
だが気がつけば、オールドスタイルに遭遇する機会は、年々少しずつではあるが減っていった。各国の良いところを、少なくともビッグ4は、変なプライドを捨てて貪欲に取り入れた。そしてその結果、CL決勝で同国対決を実現させるまでになった。
ポンド高という追い風が吹いたことも見逃すことはできない。必要な駒の獲得は、欧州で一番強いポンドなしには実現し得なかった話かも知れない。チェルシーの土台を築いたモウリーニョも、現助監督のテンカーテも、リバプール監督のベニテスも、ポンドが安ければ、イングランドには来なかった可能性がある。
しかしそんな中で、マンU監督のファーガソンは例外だ。1986年から20年以上にわたりマンUの監督の椅子に座っている。言い換えれば、古典的なイングランドスタイルを実践してきた過去がある。他のチームが監督を入れ替えるたびに、オールドスタイルから段階的に脱皮していったのに対し、マンUは一人の監督でそれに成功した。監督自身が頭の中身を変えたことで、チームもそれに呼応するように変化した。そして今回、チェルシーに内容で上回られ、勝利はPK戦の末だったとはいえ、模範的なサッカーで欧州一のタイトルを再び獲得することに成功した。
ファーガソンの頭がいかに柔らかいかということだろう。英国という島国にいながら、世界を見通す眼力を持ち続けることは、決して簡単なことだとは思わない。しかも彼はいま66歳。価値観が凝り固まっても不思議ではない高齢にもかかわらず、世界観を維持しながら、理想のサッカーの追求に余念がない。素晴らしい爺さん(失礼)だと僕は思う。