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ただのデブと見くびるべからず。
中日・中田亮二の「きらめく才能」。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2010/02/14 08:00
50m走が6秒4の中田亮二。大学では主将を務め、その明るい性格で監督やチームメイトに愛された
実力伯仲の東都リーグで打ち立てた中田亮の記録は本物だ。
東京六大学の方が100安打した選手が多いのは、まず何より入れ替え戦がないからだ。そのため期待のルーキーであれば我慢して使い続けることができる。また東大や一時期の立教大など、極端に力が落ちるチームがいることも有利だ。
一方、実力が伯仲しており、さらに入れ替え戦がある東都の場合は、1敗が命取りとなるため、主力であっても調子が悪ければ簡単にスタメンを落とされる。
つまり、東京六大学の場合はどこかに「つくられた感」があるのに対し、東都は「正真正銘の記録」だと言っていい。
それだけの選手が、あわや指名漏れしそうだったのだから、そちらの方が不思議といえば不思議なのだ。
「きらめく才能」がなければデブはプロで生き残れない!?
2001年のドラフト会議で中村剛也が西武から2位指名を受けたときのことを思い出す。あのときも意外な思いがしたものだ。
中村は大阪桐蔭時代、実に83本もの本塁打をマークしていた。これは、対戦相手の問題等、多少の「保留事項」があったとしても、半端ではない数字だ。監督の西谷浩一も、当時、歴代の大阪桐蔭のスラッガーの中でも柔らかさは随一だと太鼓判を押していた。
だから、どこかが1巡目指名してもおかしくないと思っていたのだが、フタを開けてみると2巡目だったのだ。
西谷は、「三塁手を任せられるほど動ける選手だとはどの球団も思っていなかったようだ」と振り返るが、高校時代から中村は一塁手としても、かなりいい動きをしていた。
中田亮も同じだ。もし、動けないと思われて評価が落ちたのなら、その点は心配ないだろう。50m走は6秒4だし、高校時代はバク転もできた。中田亮も普通以上に動けるのだ。
デーブこと、西武の二軍打撃コーチ、大久保博元がこんな話をしていたことがある。
「よくデブはバッティングが天才的だとか言うじゃない。俺も、インコースだけは、なんの苦労もなく打てた。でも、それはいろんな話を総合するとね、デブだからうまいわけでもなんでもない。デブという見た目のハンディを背負った人たちは、それぐらい何かきらめく才能がないと上ではやっていけなかったってことなんだよ」