オリンピックへの道BACK NUMBER
40男の執念、結実。
~中年の星、山本博復活の裏側~
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakaomi Matsubara
posted2009/05/24 06:00
5月15日から17日にかけて、今年9月に行なわれるアーチェリー世界選手権の代表最終選考会が行なわれた。結果、山本博が2大会ぶり、14回目の世界選手権出場を決めた。すでに自身で持っている世界選手権出場最高記録を、更新することになる。
決まり方が劇的だった。
日本の代表枠は男女それぞれ3。選抜方法はこの大会で上位3名に入ること。最終日の最後の試合は勝ち残った4人で争われた。最終12射目を迎える段階で、山本は、北京五輪代表の24歳、古川高晴と3位で並んでいた。そしてラスト、山本の矢は、10点満点を記録。こうして3位となり、代表入りを決めたのである。
1984年銅メダル。2004年銀メダル。そして北京で落選。
試合後、山本は「まったくまわりのスコアは見ていません。驚くほど集中することができました」とコメントしている。最後の最後に、会心の一射ができるところに、山本の真骨頂がある。
山本は、1984年に初めて出場したロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得。以後、1988年のソウル、1992年のバルセロナ、1996年のアトランタと出場。2000年のシドニーは出場を逃したが、2004年のアテネ五輪で代表に返り咲くと、20年ぶりに銀メダル。41歳での獲得に、「中年の星」と話題を集めた。
2006年6月には世界ランク1位にもなっている。これは日本選手として初めてのことだった。
その後、大きな挫折を味わう。昨年の北京五輪の出場を逃したのである。選考会で4位となったときの言葉を今も覚えている。
「こういう形になったのは……言葉が思い当たりません。数時間後、1日後、2日後に、どん、と来るのは覚悟しています。そのとき高いビルの屋上に登らないようにしないと……。冗談です」
「北京挑戦は、終わったと思います」
「どれだけ家族の応援を受けてきたか……。ロンドン五輪がどうとかじゃなく、弓を続けていくかどうか。わがままに夢を追う男が家庭にいたら、それはものすごく大変なことなわけです。家内と相談して決めたいです」
ときに笑顔を作りながらも、落胆はしぐさや言葉に表れていた。
アテネ五輪のあと、「北京では金メダルを」と目指しての結果であり、引退してもおかしくない年齢になっていた。落胆は無理ないことだったろう。