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稲本潤一 リーダーにならなあかん。
text by
佐藤俊Shun Sato
posted2006/10/26 22:33
「まさか、こんなところで会うなんてねぇ。ほんま飛んでイスタンブールやわ」
ワールドカップのブラジル戦以来、約4カ月ぶりに顔を合わせた稲本潤一は、日焼けした顔を綻ばせて、そう言った。
8月31日にトルコの名門クラブ、ガラタサライへ電撃移籍してから1カ月半。言葉も分からない見知らぬ土地での暮らしに、まだ慣れない部分もあるが、サッカーに関しては、「ウェストブロムウィッチ(WBA)にいた頃よりもかなり充実している」と、満足そうな表情を見せる。
移籍して9日後のデニズリスポール戦で早くもスタメン出場を果たし、9月12日にはチャンピオンズリーグのボルドー戦にフル出場。試合に出ることの重要性を改めて噛み締めながら、稲本はプレーすることの楽しさを味わっている。
「それを改めて感じられるようになったんは、ワールドカップがあったからやと思う」
2002年に世界の熱い視線と賞賛を浴びた男にとって、2度目のワールドカップとは何だったのか。彼はどんな思いでこの夏を過ごしたのか。マルマラ海を見下ろすラウンジに腰掛け、6月のドイツへ時間を巻き戻した。
──ドイツ大会は、キャンプインの段階から日韓大会のときとはまるで気持ちが違ったんじゃないかと思う。WBAでも試合に出られず、2部降格が決定していた。
「まぁね。チームで試合に出れんかったことも2部降格も残念やったけど、でも、自分のコンディションはリザーブリーグに出たりしていたんでむしろ良かった。スタメンについては、確かにその時はもうアピールする段階やなかったし、メンバーもジーコの中では決まっていたと思う。けど、気持ち的にはコンディションのいい選手を使うことを信じていた。そう思わないとやってられへんからね。合宿もその気持ちで入ったけど……」
──すぐにレギュラーは決まってしまった。
「そうやねぇ。福島合宿が始まってすぐ決まったからね。いくらなんでも決めるの早過ぎるやろって思ったけど……。でも、そこでやる気をなくすとか腐るとかいうのはなくて、チームを盛り上げていかなあかんって思ってた。ボンでの練習でも自分らが一生懸命やることがスタメン組にとっていいことやと思ったから、仮想オーストラリアになってビドゥカに見立てた巻にロングボール入れたり、そのこぼれ球を拾ったりしてた」
──でも、オーストラリア戦でベンチに座った時はやっぱり違和感を感じたのでは?
「多少は『なんで?』というのがあったけど、1年前のコンフェデ杯でそういう経験をしていたからね。あの時は、かなり腐ってしまってモチベーションを上げるのがほんまに難しかった。それに比べれば今回はそんなに複雑な気持ちにならなかったし、試合が始まってからは自分が出た時にどうしようって冷静に見ていた」
──オーストラリア戦の後半は選手がかなり疲労して押し込まれた。自分が出る予感はしていた?
「めっちゃしてた。オーストラリアがでかい選手を入れてきたでしょ。フクさん(福西)はだいぶ疲れていたし、もう一人ディフェンシブな選手を入れるべきやって思っていたからね。でも、(小野)伸二が呼ばれた瞬間、もうないなって思った。伸二を入れたんは……たぶん足元でボールを繋いで、もう1点取りに行きたかったんやと思う。けど、それが伸二にきちんと伝わったのかどうかは分からへん。逆に、相手は中盤を省略して蹴ってきたからね。日本は中盤を生かせずに後手後手になっていたし、坪井があかんようになってから雰囲気がちょっと危うくなった。1点取られた時は、相手に勢いがついてかなりヤバいなって思った」
──その後、2点取られて負けてしまった。
「チームとしては、かなりショックやったと思う。でも、自分としてはチャンスやなって思った。初戦に負けて、メンバーを代えるかなっていう期待があったんでね。でも、次もメンツは変わらへんかった。ここにきて4バックに変更したのはかなり驚きやったけど」
こんなはずじゃないって。だから次も出たいと思った。
──でもクロアチア戦では後半から出ることになった。しかも均衡した難しい状況の中で。
「まさか後半の最初からとは思わへんかったね。出る前にはニコ・コバチをマークしろって言われたけど、隙あらば前に出て行くことも考えてた。けど、そんな余裕はなかったね。相手は2トップ、しかもヒデさん(中田英)は攻撃で上がっているし、サイドのアレ(アレックス)も上がってた。そのカバーと、相手の両サイドの攻撃がすごく速かったんで、そこをどうするかってことを考えてた。しかもツネさん(宮本)からはセンターバックの前から離れるなって言われていたし、最後はプルソにマンマークで付いて3バックみたいになってた。かなり暑かったんで前半から出ていたらえらいことになっていたね」
──引き分けじゃまずいと思ったでしょ?
「思ったね。けど、やられるのはもっとまずい。攻撃に行こうと思えば行けたし、2列目からの飛び出しが効果的なのは分かっていたけど、ボールを取られたら戻らなあかんし、暑かったんでそこで体力を使うわけにはいかんかった。だから、俺はゼロに抑えるから、あとは点取ってくれって祈ってた」
──スコアレスドローという結果は?
「う~ん……厳しいなぁって思ったね。可能性はゼロではないけど、ブラジル相手に2点差つけて勝つことがどんだけ難しいか分かっていたし、しかも相手はフレッシュなメンバーでモチベーションも高い。夜の試合ばっかりで疲労も少ないし、コンディションもいいわけでしょ。気持ちがドンと落ち込むことはなかったけど、難しさは感じていた」
日本は2試合で1分け1敗。だが、結果以上に内容も乏しいものだった。初戦では守備が乱れ、クロアチア戦では決定的なチャンスを潰した。自滅に近い状態で自らを苦況に追い込んだ。やれるはずのことができない。思うように戦えない。選手の苛立ちがファンにも伝播したのか、ボンでのシュート練習中に、枠を捕らえ切れない選手に対して強烈な野次が飛ぶという異例の事態も起こった。
──クロアチア戦からブラジル戦までの間、チームの雰囲気はかなり悪化していたように見えたけど、それは実感してた?
「まぁ……確かに追い込まれた状況やし、さすがに雰囲気は良くなかった。野次を飛ばされたのも悔しいし、歯痒いっていう感じやった。けど、シュート練習は、入らへんから練習しているわけで、そこで野次られるのはちょっと理不尽な感じがしたけどね。ただ、ファンからするとあれだけ決定的チャンスを外しているっていうのもあるし、自分がファンの立場やったら同じことやっていたかもしれん。だから、気持ちは理解できた。でも……ほんまに楽観的かもしれんけど、まだ終わりって思っていなかったし、次が最後っていう気もなかった」
──でも、チームはとても一枚岩になっているように見えなかったし、温度差も感じられた。イナもボンの取材ゾーンでは、話し掛ける記者を振り切って帰ったりしていた。
「う~ん、それは見方によって違うと思うんですよ。例えば練習前、スタメン組はバラバラにストレッチとかして、自分らは笑いながらボール回しとかやっている。そこだけ見れば『こんな状況で、何、笑ってんだ』っていうことになるでしょ。でも、練習中は決して笑ってへんし、真剣やったからね。取材も毎日やし、話すこともそうそうあるわけやない。しかも、ツネさんがミーティングで何を話していたかを聞いてくる記者もおった。そんなん本人に聞けよって思うじゃないですか。そういう質問がすごく多くて、途中から立ち止まらないようになった。まぁ確かにクロアチア戦後の雰囲気は良くはなかった。特にツネさんや(中澤)佑二とかはいろいろ考えることがあったと思う。でも、みんな経験のある選手やし、自分らがあーだこーだ言う必要もない。腫れ物に触るように遠巻きで見ていたっていうこともなかったし、そんなに切羽詰まった状態になってへんかったと思う」
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