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「中村俊輔サッカーノート」の真実。
~リーガへの夢を支え続けた15年分の秘密~
text by
藤森三奈Mina Fujimori
photograph byTakuya Sugiyama
posted2009/08/25 06:00
マリノスからレッジーナ、そしてセルティックへと移籍し、ついに実現した世界最高峰リーグ・デビューだが、その栄光の裏側には、ある秘密のノートの存在があった……。
初めてスペインを意識したのは、俊輔が19歳のとき。U-20のワールドユースだった。
そのときのノートには相手チームとなったスペイン代表の全員の名前に加えて各々の所属チームが書かれている。敵も味方も多くが20歳の選手の中で、1歳年下だった俊輔は、バルセロナ、レアル・マドリー、バレンシア……と書きながら「来年は僕もこういうビッグクラブに行かなくてはならない」と決意したという。
“中村俊輔のサッカーノート”。それはサッカー界で様々な噂の尾ひれがついて神秘性を帯びていた。いつからつけているのか? 何冊あるのか? そして何が書かれているのか?
幸運にも、そのノートをすべて見せてもらえる機会を得たわけだが、彼が「誰にも見せたくなかった」と言う理由はすぐに分かった。あまりにも赤裸々で、読む側の心にも痛みを要求するほどの内容だったからだ。
中村俊輔をここまで知ってしまっていいのか――。
中村俊輔の挫折から生まれた「サッカーノート」。
写真の一番手前にあるのが、俊輔が最初につけたノート。当時在校していた「桐光学園」を表す「TOKO」の文字が表紙に見える
マリノスのジュニアユースでは最初こそ抜きん出た存在だったが、そこで初めて大きな挫折を味わうこととなった俊輔。
思うように背が伸びない。レギュラーの座も奪われた。
結果、マリノス・ユースには上がれず、桐光学園サッカー部に入った。
そこで出会ったのがサッカーノートだった。あの日に戻りたくない。挫折は二度とご免だ。ノートはそのためにつけることにした。だからノートには、目標、課題、反省、記録だけではなくて、孤独や不安、意地、自信といった感情までが入り混じっているのだ。
俊輔は決して自分を甘やかさない。赤裸々に気持ちを綴る一方で、徹底的に感情面をコントロールしている要素もその文面から読み取れる。甘やかした結果を痛いほど知っている俊輔ならではの厳しさがそこにはある。自己評価を点で表す時は実際に思いつく点数よりもいつも少し低くつけるのが、俊輔流だ。
2002年のワールドカップメンバーから落選した際、理由を尋ねられて「実力がないから」と繰り返し答えていたが、本音は違った。「そう思っていないと、向上心が出てこないから」と自分をコントロールしていた旨の返事がそこにあった。そうやって厳しく自分の感情を律し続ける訓練を15年間続けてきた結果こそが、今我々が目にしている中村俊輔というヒーローなのだ。
8月30日が、そのヒーローにとってのビッグデー。
イタリアで3年、スコットランドで4年、充分過ぎるほどの経験を積んでようやく、彼は長い間憧れていた地のピッチに立つ。
夢をかなえるノートを携えついにスペインへ……。
俊輔のサッカーノートには、単に戦術やプレーの技術面の記述だけではなく、ゲームを組み立てる上で重要な「精神的なプレー」とも言えるメンタル・コントロールの要素が多いのが特徴だ
俊輔がノートに書く目標は、ほとんど実現している。しかも2~3年前倒しで実現してしまうこともたびたびだった。「マリノスの軸、ゲームメーカーになる」という新人らしからぬ高い目標の達成も、23~24歳を想定していたが、予定より3年も前に実現している。「海外でプレーする」という目標は26歳に照準を合わせていたというが、レッジーナに移籍したのは24歳のときだ。しかし、「スペインでプレーする」という目標だけは少し時間がかかってしまった。
ただ俊輔は、これまでの道のりを決して遠回りとはしないはず。2009年の夏がベストタイミングだったのではないか……。彼に聞けば必ずや「そう言えるようにする」と答えるに違いない。それこそ俊輔が身に付けた、勝ち続けるためのロジックだから。
これらノートのエッセンスをまとめた中村俊輔の『夢をかなえるサッカーノート』はまもなく発売される。15年間門外不出だったノートは彼の新しい夢を乗せて公になる。「このノートを見て、ひとりでも多くの人が勇気を出してくれるなら」と。ベールを脱ぐ、という言葉がふさわしい。
中村俊輔のすべてを受け止めるつもりで読んで欲しい。
文藝春秋BOOKS
俊輔が、17歳のときから15年にわたり書き続けているサッカーノートを初公開する。そこには人気の裏で、苦悩と闘う姿があった。
<本体1,450円+税/中村俊輔・著>
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