巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER

「今のアウトだろっ!」激怒した巨人・落合博満41歳が塁審に“暴行”…退場処分になった落合が明かしたウラ側「彼に無視されたんだ」

posted2024/03/10 11:04

 
「今のアウトだろっ!」激怒した巨人・落合博満41歳が塁審に“暴行”…退場処分になった落合が明かしたウラ側「彼に無視されたんだ」<Number Web> photograph by KYODO

1995年6月7日の横浜戦。事件は3回裏に起こった。当時41歳の落合博満が退場処分になるまでには何があったのか?

text by

中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

PROFILE

photograph by

KYODO

40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 本連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。
連載第15回(前編・後編)、最下位、“名球会拒否”と波乱のスタートとなった巨人2年目(1995年)。さらに41歳の落合博満はまさかの退場処分を受ける。【連載第15回の前編/後編も公開中】

◆◆◆

巨人OBの“落合批判”はより厳しく…

「みなさんの気持ちはよく分かるし、生え抜き組を排除するという気持ちは毛頭ない。でも適任という意味ではやはり、落合でしょう。原は優しすぎるところがあるんですよ」(週刊文春1995年4月13日号)

 1995年開幕前、長嶋茂雄監督は巨人の四番について、「ナインの信頼度では落合がいちばん」とあらためて宣言した。大型補強を繰り返すチーム方針に反発したファンからは「四番原辰徳」待望論が沸き起こり、スポーツニュースの巨人軍四番打者を決める視聴者参加の電話投票では、落合博満や広沢克巳に大差をつけて背番号8がトップに輝いた。

 球界OBたちの意見も相変わらず、落合に対して辛辣なものが多く、それは4月15日の阪神戦で41歳4カ月の史上最年長(当時)の通算2000安打を達成した直後に名球会入りを辞退したことで、さらに厳しさを増していた。

 開幕ダッシュに失敗して一時最下位に低迷した巨人。さらに5月2日の阪神戦で一塁を守る落合は一、二塁間のゴロを追いかけ体が一回転した際に左肩を痛め、直後の打席で交代する。巨人OBで400勝投手の金田正一は自身の連載「カネやんの『今週の長嶋采配』」で、「一塁にはキャンプの時にオレ流で調整してきた落合がいる。これで連携プレーをうまくやれというのは無茶な話じゃ」とここぞとばかりに批判した。

「長嶋がなかなか踏ん切りがつかなかった主砲の交替ということを、落合の負傷退場がスムーズに進めてくれた。まさに神が与えてくれたチャンスだったわけです。(中略)落合には悪いが、このケガで巨人に見えてなかったものがハッキリ見えてきたように思う。長嶋よ、元気で出たいヤツにチャンスを与えてやりなさい。そのためにも、落合を簡単に4番へ戻すことをしてはいかん」(週刊ポスト1995年5月19日号)

原辰徳「屈辱の代打」

 この左肩の打撲により、落合は6試合を欠場する。

【次ページ】 原辰徳「屈辱の代打」

1 2 3 4 NEXT
読売ジャイアンツ
落合博満
長嶋茂雄
原辰徳
松井秀喜
渡邉恒雄
中畑清
シェーン・マック
広沢克実
星野仙一
中日ドラゴンズ
野村克也
ヤクルトスワローズ
桑田真澄
阪神タイガース
落合信子
石井琢朗
イチロー
清原和博

プロ野球の前後の記事

ページトップ