記事を
ブックマークする
【動画】「とんでもない量の練習を…」樋口新葉が語るスケートとの出会いと北京五輪に刻んだトリプルアクセル「気持ちで持っていきました」《インタビュー前編》
一時代を築いたアスリートが、22年の競技人生を振り返った独占インタビュー。前編は、スケートとの出会いから、北京五輪に刻んだトリプルアクセルです。《インタビュー後編も併せてご覧ください》
3歳の時、明治神宮外苑アイススケート場のスケート教室で、スケートに出会った。
「最初は氷の上でハイハイから始めて。氷を触って楽しいとか、そういう記憶の方が大きいですね。幼稚園に入った頃には、お母さんが車でお迎えに来て、リンクに行くのが日常になっていました」

持ち前の運動能力とスピード感で、人目を引くスケーターに。11歳で初出場した国際大会で優勝し、ジュニア時代にはロシアのエフゲニア・メドベデワらと戦った。
「強い選手が(ロシアに)いるのは知っていましたが、そこにも勝たなきゃいけないっていう意識でした。その頃はとんでもない量の練習をこなしていたし、何回も曲かけの練習をして、岡島(功治)先生にも『ノーミスするまで練習終われない』って言われてましたね」

シニア2年目の2017年には、平昌五輪代表の候補に名が上がり、GPファイナルにも出場。しかし最終選考となる全日本選手権は4位。ジュニア時代からのライバル坂本花織と、日本女子エースの宮原知子が五輪代表に決まり、悔し涙を流した。
「その頃は120%の力で挑まないと自分の目標とする演技を残せなかったので、出る試合、全部を本気でやってたら最後に調子が落ちてしまったんです。他の人の演技は置いといて、自分の演技が良くないと結果を出すことができない。自分のミスだと思いました。ただ、そのことがピーキングを意識し始めるきっかけにもなり、次につながる経験にもなりました」

悔しさを糧に、平昌五輪の翌年から取り組んだのはトリプルアクセル。大技を入れたことで、成績が安定しない時期が続いたが、耐え続けた。そして北京五輪の2021-22シーズン、ISU公認大会で初成功。大技を手にした樋口は、満を持して北京五輪に臨んだ。
「オリンピックは全く経験したことのない緊張状態で、地に足がついてないまま練習をして、完全に飲まれる状態を経験しました。個人戦の前日にやっとトリプルアクセルを降りて、すぐ試合に行ったので、リスクの高い判断。でも、気持ちで持っていったという感じでした」

樋口はショート、フリーともにトリプルアクセルを成功。女子としては五輪史上5人目、「両プログラム」としては史上2人目として名を刻んだ。その時のことを、こう振り返る。
「今でも覚えてるんですけど、最初のポーズから動き出す瞬間まで『どうしよう、帰りたい』って思っていたので、映像を見返すと、すっごい緊張してる顔で、面白いです(笑)」


インタビューの前編では、下記のことも語っています。
- 最後の全日本選手権「自分のすべてを出し切れた」
- 岡島先生との22年「先生を理解し、自分のことも話せるように」
- 平昌五輪シーズン「ふわっと過ごしてしまった」
- 「自分は跳べる」と毎日200回言う
- 五輪個人戦は「心臓が出そうなくらい緊張」
22年のスケート人生を戦い抜いた樋口さんの信念が伝わって来るインタビュー。ぜひご覧ください。(4月2日取材)

※動画の配信画面は、NumberPREMIERにご入会いただき、ログインすると本ページ上部に表示されます。
プラン紹介
「雑誌+年額プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
「雑誌+年額プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
このシリーズの動画を見る
記事


