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「私を批判したメディアを許さない」1998年W杯でジダンを擁して初優勝――知将ジャケは“サッカー大国フランス”の礎をいかに築いたのか「他人の意見に耳を傾け、決断を下す」
「私はこれまで私を批判してきた特定のメディアを絶対に許さない」
1998年フランスW杯決勝。スタッド・ド・フランスでブラジルを3-0と下し、地元開催の大会で初優勝を遂げたフランス代表監督のエメ・ジャケが、試合後の会見で最初に口にした言葉がこれだった。誠実かつ朴訥な人柄で知られるジャケが、優勝の喜びよりも先に発したのが、メディアに対する糾弾であったことに誰もが驚いた。
優勝までの道のりは、決して平坦ではなかった。
とりわけメディアとの確執――メディアのジャケ批判は、フランスのスポーツジャーナリズム史上でも類稀なほどに激烈だった。そうした困難を乗り越えての勝利。また、この大会でキャプテンを務め、ジャケの正統な後継者と自他ともに認めるディディエ・デシャンも、監督としてフランス代表を2018年W杯で優勝、2022年W杯で準優勝に導いた。
メディアの論調にも惑わされることなく自身の信念を貫き、フランス代表のプラットフォームを確立したジャケの功績から、W杯優勝を目標に掲げる森保ジャパンが教訓として学べることは何かあるのか。フランス優勝の軌跡を改めて辿りたい。

永い眠りから覚めたかのように代表を応援し始めたフランス国民
1998年以前のフランスは、フットボールネーションではなかった。サッカーに対する相対的な熱の低さは、W杯が始まってからも変わらなかった。ローラン・ブランの劇的なゴールで、パラグアイを延長の末に下し準々決勝進出を決めた夜も、パリの街はいつもと変わらぬ眠りについていた。誰も街頭に出て勝利を祝わない。その静けさは、パリ市民のサッカーへの関心の低さ、冷たさを端的に示していた。
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