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「自分に期待しすぎないほうが…」ホワイトソックス・村上宗隆が振り返る冷静な自己分析と三冠王の“覚悟”「アメリカでずっとプレーすることが目標」《WBC日本代表の主砲》

2026/03/07
'22年、NPB史上最年少で三冠王を獲得した男は安住を捨て、メジャー挑戦という荒野へ踏み出した。これまでも周囲の評価を自らのバットで覆してきた、そんな反骨の野球人生を振り返る。(原題:[三冠王の覚悟]村上宗隆「逆風に立ち向かえ」)

 村上宗隆は反骨の人でもある。

 高校時代は1年生の夏に、一度だけ甲子園出場するもノーヒット。3年の夏は熊本県外出身者が多数を占める秀岳館に決勝で敗れた。全国で実力を示す機会がなかったこともあり、日本代表にも選ばれなかった。甲子園で活躍した同期生、清宮幸太郎(日本ハム)、安田尚憲(ロッテ)、中村奨成(広島)らの評価が高く、ドラフトでは清宮の外れ1位でヤクルトへの入団が決まる。

「日本代表は憧れでしたけど選ばれませんでした。でも、その経験はモチベーションにつながりましたから」

 2018年、ヤクルトに入団すると、村上のポテンシャルを活かすべく英才教育が始まった。当時、二軍監督を務めていた高津臣吾は「絶対に4番」と決めた。

「4番は育てようと思って育てられるもんじゃないです。ムネは4番にふさわしい人材でしたから、二軍戦ではどんなことがあろうと4番に固定。そして9月に一軍を経験することで、翌年につながるという算段でした」

 9月16日の広島戦で一軍デビューすると、岡田明丈から初打席初本塁打を放ち、「未来の4番」のイメージはここで固まった。

 村上にメジャーリーグへの扉を開いたのは、先輩の青木宣親だったかもしれない。アメリカで6年間プレーした青木が行うロサンゼルスでの自主トレに1年目のオフから参加した。青木のひと言、ひと言はアメリカの野球とつながっていた。

「体の柔軟性が基本だから」

「日本は下からフィードされるティーバッティングが多すぎるから、みんな、ダウンスイングになっちゃう。だから、シンカー系の球打てないでしょ?」

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photograph by Getty Images

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