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「もう一度、伊藤を見たい」野村克也はなぜ松井秀喜ではなく伊藤智仁を獲ったのか――ヤクルト黄金期を築いたドラフト、外国人獲得、再生工場の“三本の矢”《証言構成》
1990年代のヤクルトスワローズは野村克也監督の下、黄金時代を築いた。就任3年目となる1992(平成4)年に14年ぶりのリーグ優勝を果たすと、'93、'95、'97年と隔年で日本シリーズを制覇。在任9年で、リーグ優勝4回、日本一には3回輝いた。まさに、この世の春を謳歌していた。
野村自ら参加した監督就任直後の'89年から'94年にかけてのヤクルトのドラフト指名を見ると、そこにはほれぼれとするような豪華な顔ぶれが並んでいる。
'89年…1位・西村龍次(ヤマハ)
'89年…2位・古田敦也(トヨタ自動車)
'90年…1位・岡林洋一(専修大)
'90年…3位・高津臣吾(亜細亜大)
'91年…1位・石井一久(東京学館浦安高)
'92年…1位・伊藤智仁(三菱自動車京都)
'92年…3位・真中満(日本大)
'93年…1位・山部太(NTT四国)
'94年…2位・宮本慎也(プリンスホテル)
'94年…3位・稲葉篤紀(法政大)
野村監督時代の黄金期を支えた主力選手がずらりと並んでいる。この間、「野村とドラフト」に関して、こんな逸話がある。
'89年ドラフトでのこと。「誰かいい捕手はいないか?」と問うた野村に対して、「眼鏡をかけているのですが……」と片岡宏雄スカウト部長が答える。「それでも構わん」と野村が言い、古田の指名が決まったという話は、すでに広く知られている。
あるいは、'92年ドラフトでは星稜高校の松井秀喜の指名が決定していたところ、「即戦力投手がほしい。伊藤智仁を1位指名しよう」との野村の主張によって方針転換したことも、よく知られているエピソードである。
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