#1130
巻頭特集

記事を
ブックマークする

「もう一度、伊藤を見たい」野村克也はなぜ松井秀喜ではなく伊藤智仁を獲ったのか――ヤクルト黄金期を築いたドラフト、外国人獲得、再生工場の“三本の矢”《証言構成》

2025/10/25
'93年のリーグ優勝を祝う。眼鏡をかけていたために大学時代にドラフト指名を逃した古田を育て上げ、黄金期を築いた
名指揮官としての地位を不動のものにしたのは紛れもなくヤクルト監督時代。9年間で4度のリーグ優勝と3度の日本一という、まさに黄金期と呼んでいいこの時代は、多くの才能豊かな生え抜き選手たちに支えられていた。当たり指名連発の裏にはどんな戦略が隠されていたのか――。(原題:[証言構成]名将が放った三本の矢 野村克也がヤクルトに遺したもの)

 1990年代のヤクルトスワローズは野村克也監督の下、黄金時代を築いた。就任3年目となる1992(平成4)年に14年ぶりのリーグ優勝を果たすと、'93、'95、'97年と隔年で日本シリーズを制覇。在任9年で、リーグ優勝4回、日本一には3回輝いた。まさに、この世の春を謳歌していた。

 野村自ら参加した監督就任直後の'89年から'94年にかけてのヤクルトのドラフト指名を見ると、そこにはほれぼれとするような豪華な顔ぶれが並んでいる。

'89年…1位・西村龍次(ヤマハ)

'89年…2位・古田敦也(トヨタ自動車)

'90年…1位・岡林洋一(専修大)

'90年…3位・高津臣吾(亜細亜大)

'91年…1位・石井一久(東京学館浦安高)

'92年…1位・伊藤智仁(三菱自動車京都)

'92年…3位・真中満(日本大)

'93年…1位・山部太(NTT四国)

'94年…2位・宮本慎也(プリンスホテル)

'94年…3位・稲葉篤紀(法政大)

 野村監督時代の黄金期を支えた主力選手がずらりと並んでいる。この間、「野村とドラフト」に関して、こんな逸話がある。

 '89年ドラフトでのこと。「誰かいい捕手はいないか?」と問うた野村に対して、「眼鏡をかけているのですが……」と片岡宏雄スカウト部長が答える。「それでも構わん」と野村が言い、古田の指名が決まったという話は、すでに広く知られている。

 あるいは、'92年ドラフトでは星稜高校の松井秀喜の指名が決定していたところ、「即戦力投手がほしい。伊藤智仁を1位指名しよう」との野村の主張によって方針転換したことも、よく知られているエピソードである。

全ての写真を見る -2枚-
特製トートバッグ付き!

「雑誌+年額プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

photograph by SANKEI SHIMBUN

0

0

0

この連載の記事を読む

もっと見る
関連
記事