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「ID野球は令和でも通用する」監督・野村克也の本質とは何か…高津臣吾らが語る“野村野球”の正体「では、高津野球とは?」《ヤクルト・スワローズ》
「もし、今も野村監督が生きていらしたら、いろいろなことを相談して、僕の野球脳はもっと良くなっていたんじゃないかな……」
野村克也が天に召されて5年が過ぎた。今も存命であれば90歳になる。かつての師である野村の思い出を尋ねると、ヤクルト・高津臣吾監督はしみじみと言った。
「……現役のときには《監督と選手》という立場でいろいろ指導していただいたけど、今度は《監督と監督》という立場で、“こういうときはどうしていましたか?”とか、“こんなときには何を考えていたんですか?”と相談したかったな」
2020年、高津が監督に就任した年に野村が亡くなった。死の直前に監督就任の報告をしたのが、師との別れとなった。監督在任6年目となる。'21年に日本一、'22年にはリーグ連覇したものの、'23年、'24年と5位に沈み、今シーズンも故障者が続出する中で苦戦が続いている。
「今でもヤクルトには野村の教えは残っているのか?」
高津に尋ねたのは「今でもヤクルトには野村の教えは残っているのか?」という質問だった。'90年、ヤクルト監督就任時に野村が掲げた「ID(データ重視)野球」という革命は、令和の現在では多くの野球人が知る戦法となった。監督就任時、高津は「野村監督の教えを継承するのも私の役目です」と口にしている。野村の教え子たちが、各球団で指導者となっている今、その本流であるヤクルトには「野村の教え」が脈々と息づいているのだろうか?
「僕はもちろん、ヘッドコーチの嶋(基宏)も楽天時代に監督と選手という立場で野村さんと接していますから、今でもヤクルトには色濃く残っていると思います。バッティングコーチの大松(尚逸)は直接、野村監督の指導は受けていないけど、ヤクルトでは打者に対して、“彼はA型で、この選手はB型だ”という会話が普通に行われているし、合計81マスのチャート表を使って、今でもミーティングをしています」
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