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8月6日広島、新井貴浩の静かな言葉…中国新聞『球炎』が伝え続ける広島カープの記憶「…その原稿を最後に津田はペンを置いた」《連載「鼓動」第8回》
正午過ぎのバックヤードでは戦う男たちの日常が始まっていた。すでにひと汗かいた新井貴浩がトレーニングウェア姿で選手たちに声を掛ける。
「大丈夫か? 悪化してないか?」
数日前に内転筋を痛めた小園海斗は指揮官の問いに、はい、大丈夫っすと笑みを返すと、炎天下のグラウンドに走り出ていった。
ダグアウト裏からはもう打球音が聞こえていた。ここのところスターティング・ラインアップに名を連ねる機会の増えた羽月隆太郎がスイングルームに籠っているのだ。入団以来、代走のスペシャリストとして知られてきた彼は“走り屋”から、もう一段ステージを上がろうという渇望を漲らせていた。
それから新井はグラウンド整備を担当するスタッフにも声を掛けた。
「今日はどうかな?」
「少し雲が来るかもしれません。でも、大丈夫だと思います」
鼻の頭に汗の粒を浮かべた彼女は、指揮官から、今日も頼むねと言われると、日焼けした顔をくしゃくしゃにして、持ち場へと駆けていった。
1945年8月6日に思いを馳せる「ピースナイター」
夕暮れどきになると、マツダスタジアムのスタンドは一面、真っ赤な花が咲いたようになっていた。席を埋めたカープシャツの人々がビール片手に団扇を扇いでいる。コンコースには焼き鳥の匂いが漂い、薄暮の空と照明が幻想的な夏のナイターを演出していた。今日もゲームが始まる。広島の街の日常であり、この日は年に一度、その日常を噛み締めるための夜だった。
黙とう。プレーボール直前のスタジアムに静寂が訪れる。ベンチ前に整列し、目を閉じた選手たちの背中には、いつもの背番号の代わりに「86」とあった。1945年8月6日に思いを馳せる「ピースナイター」が幕を開けた。
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※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
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