記事を
ブックマークする
「あれは一種の家出だった…」恩師とライバルが明かす角田裕毅の“素顔”と運命を分けた“割り込み”「本来ならあそこに俺がいたはず」<笹原右京、大湯都史樹らの証言>

「オレはレースで角田の世話をしたというより、私生活の世話をしたような気がする。鈴鹿でレースがあるときなんか、ほとんどうちに泊まってた。あいつはうちを下宿先みたいなつもりでおったんと違うかな。子供みたいでかわいいところがあったから、それでよかったんだけど」
と、庄司富士夫は言う。鈴鹿サーキット近くで自動車工房MYST(ミスト)を経営する庄司は、レーシングカー開発・製造と並行して運営するレーシングチームから多くの若手選手を上位カテゴリーへ送り出した名伯楽である。角田裕毅は、レーシングカートから4輪レースへステップアップする際、まず庄司のチームに所属し、初期の練習と実戦経験を積んでいる。
「SUGOのFIA-F4が終わった後なんか、まじで2週間くらいおったからね」
庄司が言うのは、2017年、スポーツランドSUGO(宮城県)で開催されたFIA-F4日本選手権シリーズ第7戦及び第8戦のことだ。前年、レーシングスクールであるSRS-Fを卒業した角田は、スクールで同期だった笹原右京、大湯都史樹とともにホンダが運営する育成チーム、HFDPからFIA-F4に進出し、1年目のシーズンを闘っていた。3人は好成績を挙げながらシリーズを戦い進んだが、7月23日の第8戦は大荒れとなった。
雨の中、レースはアクシデントで中断し、セーフティーカー(SC)先導を経て7周目から再開された。トップが大湯、2番手に角田、3番手に笹原が続いていたが、再スタートのためSCがピットロードに退去した際に混乱が起きた。本来は競技車両の先頭でスタートラインを通過しなければならなかった大湯が、急減速してなぜかSCとともにピットインしてしまったのだ。
全ての写真を見る -11枚-プラン紹介

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
この連載の記事を読む
記事