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「あいつらは(僕のことが)嫌だったと思います」谷繁元信が語った捕手の“信頼”とベイスターズ秘話「試合前、わざと投手がいるところで…」《インタビュー》

ずんぐりむっくりで、寛容な。そんな従来の日本的捕手の枠には収まらなかった。
「山田太郎のキャッチャー像は好きじゃなかったんです」
高校野球の名作漫画『ドカベン』の主人公で、空想とはいえ捕手の1つの理想像と表現してもいい人物に対して、谷繁元信は思いを巡らす素振りさえ見せなかった。
谷繁は横浜に13年間、中日に14年間在籍し、プロ野球史上最多となる3021試合出場を達成した名捕手だ。谷繁が山田太郎に無関心な理由をこう語る。
「動けないでしょ? 動きが鈍いキャッチャーは嫌いなんですよ」
谷繁が上の世代で理想としていたのは中日や巨人でプレーした中尾孝義だったという。いわゆるキャッチャー体型ではない、走って、守れる捕手だった。
山田太郎と谷繁が相似形を成さないのは、動きだけではない。
日本では捕手のことを「女房」にたとえがちだ。無口で包容力のある山田太郎は、古き良き日本の妻のようでもあった。
谷繁に「谷繁さんは包容力があって、献身的でというタイプとは……」と問いかけようとすると「まったくないです」と自ら告白するかのように言った。
なぜ谷繁は父性的な捕手だったのか?
あえて言えば谷繁は父性的な捕手だった。
万年Bクラスだった横浜ベイスターズが化けたのは1997年のことだ。シーズン中盤から投打の歯車がかみ合い、ヤクルトと首位争いを演じる。最終的に2位に終わったが、翌'98年には38年振りにリーグ優勝を飾り、続く日本シリーズも制した。
当時の横浜は、まるで雨後の筍のように若い投手が名乗りを上げた。三浦大輔、戸叶尚、川村丈夫、福盛和男らがそうだ。彼らの尻を叩いていたのがプロ入り10年目を迎えようとしていた谷繁だった。
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