#1029
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「亀新フィーバー」と「最長試合」のIf。~暗黒期に咲いた徒花~

2021/06/28
亀山努(右)と新庄剛志(左)。“亀新”への注目度は日に日に高まっていった
球史に“たられば”の議論など無意味だろう。それでも、ファンは今もため息まじりにボヤく。若さと躍動感が溢れる2人が駆け回ったあの年。史上最長の戦いに沸き、ヤジを飛ばしたあの年。1992、虎に恋したあの年、勝ち切れていたならば。(初出:Number1029号「亀新フィーバー」と「最長試合」のIf。~暗黒期に咲いた徒花~)

 徒花という言葉には「咲いても実を結ばぬ花」という意味がある。タイガースファンが「1992」という数字を聞けば、きっと胸の奥深くがキュッとうずくことだろう。あの年、確かに花は咲いた。しかし、実を結ぶことはなかった「歴史」を知っているからだ。

 球団史上唯一の日本一に輝いたのが1985年。その2年後には最下位に転落したことから、吉田義男監督ら当時のチームスタッフは「天地会」なる親睦の集いを開いている。天国(日本一)と地獄(最下位)をどちらも知る戦友だからだ。その'87年がいわゆる「暗黒時代」の入口であった。

 6、6、5、6、6位。ミスタータイガース・村山実を監督に据えても抜け出せず、二軍監督として経験を積んだ中村勝広を抜擢したのが1990年だった。

 連続最下位で迎えた3年目が「1992」。「きんさん・ぎんさん」が流行語の年間大賞になり、「カード破産」、「複合不況」などバブル経済がはじけたと国民が自覚した年。夏の甲子園では松井秀喜が5連続敬遠されたことが物議を醸した。

 阪神の本拠地であるその甲子園では、大きな改修があった。右中間、左中間のラッキーゾーンが撤去されたのだ。これは「1992」を語る上で欠かせない前提条件となる。一気に広くなった甲子園は、阪神の野球に劇的な変革をもたらした。パワーよりスピード、攻撃より防御。俊足と強肩の野手を配し、投手力を前面に押し出した。

「亀新フィーバー」は間違いなく社会現象だった

 その象徴が高卒5年目、背番号00の亀山努と3年目、まだ63番を背負っていた新庄剛志。2人の抜擢は期待以上の化学変化を生んだ。亀山のヘッドスライディングにファンは手をたたき、新庄の予測不能のプレーと破天荒な言動に度肝を抜かれた。

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photograph by Kazuaki Nishiyama

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