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「自分で終わらせるわけには…」桧山進次郎、岩田稔、中西清起が語る2008年岡田監督“ラストゲーム”で阪神ナインが人目を憚らず号泣した理由「集大成といえる試合だったよな」

動くか、否か。
指揮官の決断に京セラドーム大阪の観客3万人超がどよめく十数分前、男はすでに一塁側ベンチ裏の打撃練習用スペースで準備を整え終えていた。コーチから出番を告げられるよりも先にバットを握り直すと、無人の室内通路を進みだした。
8回表を終了した時点でスコアは0-0。阪神先発の岩田稔は101球を投げ、中日打線に1安打しか許していなかった。8回裏は9番・投手に打席が回る。続投させるのか、それとも代打を送るのか。
監督は必ず勝負を懸ける――。
39歳のベテラン打者には確信めいた予感があった。
「岡田さんは出し惜しみを一番嫌う。ましてや、あの時代はブルペンにジェフ・ウィリアムス、久保田智之、そして藤川球児の『JFK』がいたわけだから」
1死走者なし。張り詰めた空気が漂うグラウンドに「代打の神様」の名前がアナウンスされた。
まだ終わらせるわけにはいかない。
割れんばかりの大歓声をBGMに、桧山進次郎は左打席へ歩き始めた。
岡田監督辞任に桧山が感じた「世の不条理」
2008年、10月20日。阪神と中日のクライマックスシリーズ(CS)第1ステージは1勝1敗で最終の第3戦を迎えていた。大挙した報道陣は皆、岡田彰布監督の一挙手一投足に目を光らせていた。
9日前の11日、岡田は横浜戦を控えた横浜スタジアムの三塁側ロッカールームで突如、ナインに辞意を伝えていた。一時は13ゲーム差をつけていた巨人に大逆転優勝を許してから一夜明け、球史に残るV逸の責任を取った形だった。
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