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「何度も『ここで辞めようかな』と…」樋口新葉が振り返るスケート人生22年の栄光と挫折、そしてラストダンス秘話「岡島コーチが泣いたのは初めて」《引退インタビュー》

ノービス時代から世界へ羽ばたき、数々の栄冠をつかんできた。ときに涙と葛藤の日々も味わいながら、戦い抜いた競技人生。その最後の1年もまた、彼女は試練の中で自分と向き合い続けた。新たな人生への旅立ちを前に、銀盤に刻んだ22年間を振り返る。(原題:[引退インタビュー]樋口新葉「痛みは消えないままでも」)

 2025年12月21日、現役最後となる全日本選手権のフリーで、樋口新葉は氷に思いを伝えるようにステップを踏んだ。演技を終え、氷上に大の字に寝そべる。競技人生22年分の情熱で燃えたぎる身体を、氷で冷やし、気持ちよさそうに天井を見つめた。

「今の自分のすべての力を出し切れた。もうこれ以上はできない演技だったな」

 そう、心の中でつぶやいた。

'25年の全日本選手権が競技者として最後の舞台となった Asami Enomoto
'25年の全日本選手権が競技者として最後の舞台となった Asami Enomoto

 スケートを始めたのは3歳のとき。

「母がスケートを観るのが好きで、神宮外苑アイススケート場の教室に連れて来てくれました。始めは氷の上でハイハイするのが楽しくて。幼稚園のときに出た最初の試合は、1番を目指していたら5位。それまで幼稚園のかけっこで負けたこともなく、自分より上に人がいるのが悔しくて、勝つことへのこだわりが出てきました」

 11歳で国際大会に初出場すると優勝。ノービス・ジュニア時代から、同学年の坂本花織と共に国際大会へ出場し、エフゲニア・メドベージェワらのロシア勢とトップ争いを繰り広げた。

「すごい選手がロシアにいるのは分かっていましたが、それでも勝たなきゃいけない。ジュニアの頃はとんでもない量の練習をこなしていました。岡島(功治)先生に『ノーミスするまで練習を終われない』と言われて、私も子供だったので『ノーミスしないと怒られる』と必死でした」

平昌五輪の切符を逃し、涙で会場を後に

 コーチとの関係性に変化があったのは、2016年に2年連続となる世界ジュニア銅メダルを獲得した頃だ。

「それ以前は先生に『パンクするな』と言われても何を直していいのか分からず、質問さえ出来なかった。それが変化して『この部分が分からない』と質問すれば、具体的に『右肩が下がらないように』などとアドバイスをもらえるようになった。先生と話し合う大切さを感じ始めました」

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photograph by Asami Enomoto

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