#1115
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【河村勇輝の原点】「映像で見た通りに体を動かせる」故郷・山口で磨かれた“バスケットIQ”と意外な一面「コールプレーに『ガスト』とか『ココス』とか(笑)」

同学年の三谷桂司朗とミニバスのヘッドコーチだった森本敏史
小学校時代のコーチは言った。「そんなやつは彼しかいません」。中学校時代を知る選手は言った。「彼を止められる人はいなかった」。今も変わらぬ河村の長所は、“目に見えない部分”にこそあった。(原題:[才能の原点]故郷・山口を訪ねて「ミニバス時代から変わらないもの」)

 映像の中の選手は、しきりに周りの様子を気にしていた。

「……わかるかな。(ボールを)コントロールしながら、時計を見とるんですよ」

 校長室のソファーテーブルにタブレットを立てかけ、バスケットボールの試合映像を観ながら、そう嬉しそうに解説を加えてくれたのは森本敏史である。

 森本の視線の先にいたのは、ポイントガードの背番号4だった。白いユニフォームの胸には、黄色い字で「YANAI」と入っている。柳井バスケットボールスポーツ少年団時代の河村勇輝だ。この頃は、まだ今ほど小さくは見えない。

「そんな飛び抜けて小さいわけでも、大きいわけでもないですよね。小学生なら、まあ、標準くらいかな」

 森本は河村がチームに所属していた頃、ヘッドコーチを務めていた。現在はコーチを退き、山口県田布施町立東田布施小学校の校長を務めている。校長室の壁には河村の写真やサイン、さらには新聞記事の切り抜きなどがきれいに飾ってあった。

「僕は勇輝の両親に次ぐナンバー3のファンだと思っているんで。試合も両親の次にたくさん観ていると思いますよ」

 その動画は、大事な「河村コレクション」の内の一つでもあるのだ。

「勇輝は他の選手にどけって言ってますよね」

 森本が見せてくれた映像は2014年3月30日の第45回全国ミニバスケットボール大会の模様だった。場所は、国立代々木競技場の第1体育館。その年、柳井バスケットボールスポーツ少年団はCブロックの決勝で島根の古江ミニバスチャレンジクラブとぶつかった。

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photograph by Takashi Shimizu

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