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「経営者としてのゴールは…」里村明衣子がプロレスラー人生で“立証”したものは何か?「あの日が、私のほんとうの人生のはじまり」《引退直前インタビュー》

今日もまた、家の外まで母と姉が怒鳴りあう大きな声が聞こえてきた。
「うわっ、まただ……」
玄関の前で、踵を返す。重い足取りで「いつ家に帰ろうかな」と、歩いてきたばかりの道を引き返す。しばらくして、再び一軒家の前に立つ。意を決して門をくぐるたびに、8歳の里村明衣子の心は痛んでいた――。
里村は3人姉妹の末っ子で、「習い事はなんでもやらせてもらった」と、何不自由ない暮らしを送っていた。生活が暗転したきっかけは、両親が夫婦で建設関連の有限会社を起業した直後。父が連帯保証人になって、莫大な借金を背負ったことだった。
「ちょうど7歳上の長姉が高校に進学するときで、やりたいことができなくなった姉が荒れたんですね。日々、常にイラついていました。思春期の姉が言うことに、母は『お金がない』と平行線。その怒鳴り声を聞きたくなくて、止める日もあれば、隠れる日もあって。ひたすら、泣いてた気がします」
父は返済のために、仕事ざんまい。長姉が母と衝突すると、里村はあいだに入った。
「なんでこんな家に生まれたんだろう、なんでこんなことになったんだろうって思いはしたけど、言葉に出せない。いまだったら自分が自立しているから、どうにでもできるんです。でも、子どもの力では諍いを抑えることができないし、自分で稼ぐこともできない。小学生のあのときが、人生で一番つらかったかもしれないですね」
そんな環境下で、あるものを手に入れた。
「自立心が、すっごく強くなったんです。大人になったら自分で稼いで家を出るという考えが、早い段階で身につきました。それは、とってもよかったと思います。あの時代がなかったら、早く家を出たいとか、悔しいとか、そういう強いバネが自分のなかで生まれなかった。ああいう家庭環境でなければ、きっとこの仕事をしていないだろうから、いまでは感謝しています」
続きの内容は…
- 地元・新潟県の体育館に来た新日本プロレス
- 震災で風前の灯となった仙女。だが、里村には意地があった
- 2024年は過去最高の売り上げ。なぜ引退を決断したか?
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