全身全霊を傾けたひと振りも想いは通じず、試合が終わる。ある者は天を仰ぎ、またある者は地に突っ伏し涙する。チームの無念の敗北を象徴する、運命のラストバッター。彼らはそのかけがえのない青春の一瞬に、何を見るのか。ゲームセットの悲劇の主人公となった、3人を訪ねた。(初出:Number834号[運命の瞬間を辿る]ドキュメント「最後のバッター」)
あのとき、本当に「あと1球」コールが甲子園にこだましたのだろうか。15年前の実況中継を確認しても聞き取れないが、打席に立った京都成章の3番打者、田中勇吾の鼓膜には今もその残響がこびりついている。
マウンドには、横浜のエース・松坂大輔がいた。春夏連覇を目指す横浜は準々決勝のPL学園戦で延長17回の激闘を制し、準決勝の明徳義塾戦では8回まで6点をリードされながら神がかり的な粘りで大逆転劇を演じていた。「平成の怪物」と呼ばれた男はそうした激闘の余韻を残しながら、なおも決勝戦で新たな伝説を紡ごうとしていたのだ。
すでに甲子園で660球を投げていた松坂の立ち上がりは、その後の快投を予感させるものではなかった。ストレートは130km台で制球も定まらない。1死から四球で歩いたランナーを置いて初打席に立った田中も「想像していたほど速くない」と感じながら、ボール球を3つ続けて見送った。「今日の松坂なら、きっと打てる」。1─3からストレートをひっかけてサードゴロ併殺に倒れたが、このときはそう確信していた。
試合は投手戦となり、6回を終えた時点で0─2。スコアだけを見れば接戦だったが、田中が予期していなかった重圧を感じ始めたのは、7回の攻撃を迎えたときだ。
「松坂の球は回を重ねるたびに速くなってきました。横浜は守備も堅く、どこへ打っても野手の間を抜ける気がしない。ヒットが1本も出ていないことを意識すればするほど、初回に打っておくべきだったとも思いました」
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