NPBを経ずに渡米し、茨の道を歩んだ若武者は数々の猛者たちと対戦し、世界一の栄冠を掴んだ。そんなリリーバーの脳裏に焼きつけられたのは昨年引退したベネズエラ人最強打者の残像だった。(原題:[激闘の日々を振り返る]田澤純一「三冠王に感じた脅威」)
16年前の秋、田澤純一は決断を迫られていた。ドラフト1巡目での指名が有力なNPBに進むのか。あるいは、海外でプレーする道を選ぶのか。前年のIBAFワールドカップで活躍すると、外国人スカウトが現れ始めたのだ。横浜商大高から社会人野球の名門、新日本石油ENEOSに加入して4年目。人生の岐路に立ち、気持ちに嘘をつかなかった。
「基本的にNPBに行きたい気持ちはありました。でも、自分の中で社会人からNPBに行って即戦力で通用するイメージが湧きませんでした。野球選手として成長できるのはどっちなのか。アメリカでは成功するよりも、成長する方が目的だったんです」
2008年9月にメジャーリーグ挑戦を表明した。そして、'09年にレッドソックスに入団すると、メジャーデビューを果たす。右肘の手術を乗り越え、やがて勝ちパターンの救援投手としての地位を築き、'13年にはクローザーの上原浩治と共に世界一を掴んだ。米球界での11年間、彼の前には無数の強打者が立ちはだかった。猛者たちに挑んだ日々こそが、田澤が望んでいた「成長する」ための糧になった。
カブレラの打撃練習に見た「嫌なもの」。
メジャー388試合に登板した中で、誰よりも脅威を感じた打者がいる。
ミゲル・カブレラ。
タイガースの大砲として'12年、'13年のMVPに輝き、'12年は打率.330、44本塁打、139打点で45年ぶりの三冠王。通算511本塁打の最強スラッガーである。
'09年の初対決から2打席連続で三振を奪ったが、レギュラーシーズンでは通算8打数3安打、打率.375と分が悪かった。
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photograph by Ichisei Hiramatsu / Naoya Sanuki