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「(イチローの姿に)涙が出そうになりましたね」谷口功一と坪井智哉が証言する“同級生”イチローとの邂逅「一緒に表彰式に出た」「振り子打法は坪井が先なんでしょ?」

聞き慣れない呼び方だった。
「スズキ」
谷口功一は、イチローのことをそう呼ぶ。携帯の登録名も「鈴木君」だった。
「昔からそう呼んでいたので、イチローって呼ぶ方が偉そうな気がしてしまって」
谷口は天理高校2年の夏、同じく身長が190cm以上あった3年生の南竜次(元日本ハム)とともにツインタワーと呼ばれ、全国制覇を達成。実は、その夏にイチローと出会っている。天理は1回戦で「3番・レフト」の鈴木一朗を擁する愛工大名電と対戦し、谷口は登板しなかったが、6-1で勝利した。谷口が思い出す。

「同じ2年生だったし、鈴木一朗は当然、意識していました」
谷口は翌年秋、巨人からドラフト1位指名を受けた。そして、プロ1年目のオフも谷口はイチローと交錯している。期待の新人に贈られるビッグホープ賞という賞があるのだが、イースタン・リーグは谷口、ウエスタン・リーグはイチローがそれぞれ同賞を受賞したのだ。谷口の表情が緩む。
「一緒に表彰式に出たんです。それが僕の自慢。その後、差が開いちゃいましたけど」
谷口「骨がずれたまま。30年以上経ってるのに」
コキ、コキ。
何かと何かが擦れる音がした。谷口が右肘を肩の高さまで持ってきて、肩を前後に動かしたときのことだった。
「鳴ってるでしょ? 骨がずれたままなんでしょうね。30年以上経ってるのに」
谷口の野球人生が暗転したのはプロ2年目、1993年のことだった。13年振りに長嶋茂雄が監督に復帰し、谷口はローテーション入りを期待されていた。ただし、当時の巨人の先発陣は盤石だったため、二軍で経験を積みながら、一軍の試合にも同行するというタフな環境下に置かれた。5月に一軍に昇格し3試合に登板したが、いずれも先発が崩れ、緊急に近い形でのリリーフだった。投球練習すらできない日もあった。計4回で5失点と結果を残せず、谷口は二軍落ちを告げられる。
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