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「孤独感もやっぱり、ありました」日本代表オポジット・宮浦健人が“パリ・バレー”の顔になるまで《石川祐希も称賛「海外へ行くメリットを証明した」》

2024/04/02
今季からフランスリーグのパリ・バレーに所属する宮浦健人
レベルアップを求めて昨季渡ったポーランドでは世界のトップ選手と対峙し、悔しさを味わったが、常に強くなるための準備と努力を惜しまなかった。今夏オリンピックが開催されるパリの地で、彼は熱い闘志を胸に秘め、コートに立っている。

 7月に五輪が開催されるパリで、おそらく今、最も人気がある日本のバレーボール選手は彼だ。

「ケント、ミヤウラ!」

 フランスリーグで8位(3月18日現在)のパリ・バレー。チームの点取り屋であるオポジット、宮浦健人の名がコールされると大げさではなく会場中から大歓声が沸き起こる。試合後にそのままコートへなだれ込み、サインや写真撮影を求める観客に、最後まで囲まれているのも宮浦だ。

 ここまで14勝11敗。プレーオフ争いを繰り広げる中、宮浦がMVPに選ばれたのは実に9回。喝采が送られるのも当然なのだが、当の本人は浮かれることなく、むしろ謙虚に受け止めていた。

「自分の中ではもっともっとできるな、と思うし、やらなければいけない、という思いがあるんです。だからMVPをもらうことがあっても、常に反省があるし『こうすればよかった』と毎回思う。もっとパワーをつけるとか、高さを出すとか、もっともっと、成長しなきゃ、って」

海外1年目に味わったのは悔しさばかり。

 海外生活は2年目。充実のシーズンを過ごしているが、最初からすべてうまくいっていたわけではない。むしろ今季初めてイタリアに渡った石川真佑が、難しさを感じながらも解放感を味わうのとは対照的。昨季、海外でのキャリアをスタートさせた宮浦が味わったのは悔しさばかりだった。

 所属したのはポーランド南西部にあるスタル・ニサ。「日本人もほぼ住んでいなかった」という場所で、宮浦の立ち位置は2番手のオポジット。そもそも海外移籍を決めたのは、早稲田大卒業後、ルーキーイヤーから活躍したジェイテクトへ西田有志が復帰することがきっかけになった。同じチームで西田と切磋琢磨する選択肢がなかったわけではないが、試合に出て評価を得たい。さらなる飛躍と成長を誓い東欧の地に渡ったが、現実を見ればリリーフサーバーや2枚替えでの投入がほとんど。出場機会が限られる中、宮浦は鬱積した思いに押しつぶされそうになったこともある、と明かす。

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photograph by Takahisa Hirano
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