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【動画】「左ひじが悲鳴を上げた」立教大・斎藤蓉が語る“あの甲子園”での復活と“野球ノート”秘話「消したつもりだったけど...」《特集:仙台育英④》

2026/07/31
 NumberPREMIERの動画インタビューによる連載「高校野球 シン・組織論」では、令和になって日本の高校野球を変革していこうとするチームを徹底取材していく。
 5回目のシリーズに登場するのは、2022年にその「白河の関越え」を果たした仙台育英OBたち。指揮官・須江航が率いるチームの強さの源はどこにあったのか。当時決勝戦で先発投手を務め、現在は名門・立教大学のエースナンバーを背負う斎藤蓉投手に話を聞いた。田中優飛投手、髙橋煌稀投手、尾形樹人捕手の動画インタビューも公開中。他にも当時の仙台育英・優勝メンバーを取材予定です》

 山形出身の斎藤蓉が仙台育英で野球をすると決めたのは、「東北で最も日本一に近い高校」だと信じたからだ。

 入学時点で春夏3度の甲子園準優勝を誇る名門。そこは、仙台育英の系列である秀光中時代から名を馳せていた古川翼など、実績あるピッチャーたちがしのぎを削る世界だった。

細かく数値を求められる環境は「目標が明確になって取り組みやすかった」と語る photo by Hideki Sugiyama
細かく数値を求められる環境は「目標が明確になって取り組みやすかった」と語る photo by Hideki Sugiyama

 エゴイズムが色濃く映し出されていた斎藤が変革を果たすのは、22年の3月だった。関西の強豪との練習試合で、監督の須江航が「打たれてもいいから高めを使って」と指示を出す。だが、斎藤は「低めのスライダーで三振を取る」と矜持を捨てきれず、崩れた。

 試合後、須江とひざを突き合わせる。本音をさらけ出せたことで斎藤は幅広いピッチングを心掛け、パフォーマンスが向上した。

 そんな矢先、左ひじが悲鳴を上げた。診断の結果は靱帯の損傷。夏の県大会では投げられそうになかったが、斎藤に悲嘆はなかった。

「ずっとお世話になっていた、育英のメディカルチームが心の支えになりました」

「ぶっつけ本番」の甲子園で躍動

 実戦復帰登板となった夏の甲子園初戦。9回に登板し古川、髙橋煌稀、湯田統真、仁田陽翔との「140kmクインテット」の一角として存在感を示した斎藤は、準々決勝、決勝と重要な局面で先発の大役を全うする。

 日本一の歓喜に沸く。かつて自我を押し通していた男は監督の懐に飛び込んでいた。

「(須江監督は)選手のことを一番に考えてくれていた」と振り返る photo by Hideki Sugiyama
「(須江監督は)選手のことを一番に考えてくれていた」と振り返る photo by Hideki Sugiyama

「感謝が一番です。須江先生のおかげでああいうピッチングができたので」

 立教大に進んだ斎藤は、大学入学後に左ひじの靱帯を再建する「トミー・ジョン手術」に踏み切った。治療やリハビリ期間で停滞を余儀なくされたとしても、斎藤にはネガティブな感情がほとんどない。

「高校時代に培った力は生きているな、と思うんで、焦りはないです」

 苦難でこそ発揮される力。

 それこそが「自分は仙台育英出身だ」という、芯の通ったメンタリティなのである。

photo by Yuki Suenaga
photo by Yuki Suenaga

 動画では以下のような話題について語っています。

  • ハイレベルな環境でエースになるまで
  • 「消したつもりが……」。野球ノート秘話
  • ひじの靱帯損傷により県大会での登板を回避
  • 実戦復帰は甲子園。好投できたわけ
  • 甲子園でのベストパフォーマンスは?
  • 今だからわかる「指導者・須江航」のすごさ
  • 大学でも通用する「仙台育英野球」
  • 仙台育英出身者のプロへの道筋とは

 困難に直面しながら3年夏の甲子園で日本一に貢献。斎藤蓉選手にとって仙台育英での学びは立教大でも役立っています。約35分間の動画インタビューを是非ご覧ください。(2026年6月24日)

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