あの日からすでに1年が経とうとしている時期だった。交通量の多い熊本東バイパスから一本通りを入れば、朝の通勤ラッシュが嘘のように静かになる。今年2月、熊本市中央区上水前寺に開店したカフェ『Shinonome coffee』には、まだ春の陽光が差し込んでいた。オープンの午前8時半を少し過ぎた頃、ガラス張りの店のカーテンが上がった。元WBC世界ミニマム級チャンピオンの重岡優大はエプロン姿で軒先に出てくると、温和な笑顔を浮かべながら頭を小さく下げた。
「仕込みに手こずりまして」
オーナー兼店主は作業中のカウンターにすぐに戻り、メニューに追加したばかりのベーグルの生地をゴツゴツした指でこねていた。のんびりしている暇は、ほとんどない。ひとり、ふたりと新規客、常連さんが訪れる。自家焙煎した3種類ある豆の特徴を説明し、好みに合うコーヒーを淹れていく。丁寧なハンドドリップ、親しみがこもる接客はこなれたものだ。

世界王者でも巨万の財を築くのは井上尚弥らほんのひと握り。セカンドキャリアに悩むボクサーも少なくないが、優大は引退後に店を開くつもりで、実は現役時代にカフェでアルバイトしていたのだ。自分の店をもったいまは朝7時から準備を始め、閉店の17時半頃まで働き通し。締めの作業まで一人でこなす。いずれ夫婦で切り盛りする予定だが、昨年9月に結婚した妻は現在、今年2月に誕生した娘の世話に追われている。ここが踏ん張りどころ。29歳の新米マスターはエネルギーをみなぎらせていた。
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